・「困難の中に希望の光となる道を見いだせるよう祈ろう」菊地大司教の第五主日説教

(2020.5.10 菊地・東京大司教の日記)

復活節第五主日@東京カテドラル

 復活節第五主日となりました。

 教皇庁大使ジョゼフ・チェノットゥ大司教が、金曜日、8日に緊急入院されました。脳梗塞の疑いがあるとのことで、現在も集中治療室で闘病中です。チェノットゥ大司教さまの回復のために、お祈りください。

 なお、すでにお知らせしたように、ファティマの聖母の祝日に当たる5月13日(水)午後7時から、新型コロナ感染症拡大のさなかにささげる祈りとして、ロザリオの祈りの夕べを行います。ミサ同様に非公開ですが、インターネットで同時動画配信をします。「混乱する事態の早期終息と、病床にある方々の快復、亡くなられた方々の永遠の安息」のために、ご一緒にロザリオ、栄えの黙想一環をお唱えください。

 以下、本日のミサの説教原稿です。

【復活節第五主日 東京カテドラル聖マリア大聖堂(配信ミサ) 2020年5月10日】

 最後に皆さんと一緒にこの大聖堂でミサを捧げたのは、2月26日、灰の水曜日のことでした。その翌日から、ともに集い、ともに賛美を捧げ、ともに祈ることを、一時中断しています。緊急事態が宣言されている間は、公開ミサの中止を継続せざるを得ません。感染しないためであり、感染させないためでもあります。

 今年の復活祭に洗礼を受けるため、準備してこられた多くの皆さん。私たちは、信仰共同体の心の絆で結ばれていることを、どうか心にとめてください。再び集まれる日に、喜びと希望をもって一緒に賛美を捧げることができるよう、この困難な時期の間も、私と、そして教区の皆さんと、祈りの時をともにしてください。

 また、病床にあって不安のうちに毎日を過ごしておられる方々、苦しみの中で闘っておられる方々、経済的な困難に直面しておられる方々。命の与え主である神が、皆さんを力づけ、守ってくださるように祈っています。また命を救うために、日夜奮闘されている医療関係者の皆さん。心からの感謝とともに、皆さんの健康が守られるように祈っています。

 教会は、歴史の中で、様々な変革を体験してきましたが、今また、変わることを迫られています。これまで培ってきた教会のあり方を、大きく変えなくてはならないのかも知れません。共同体として集まることの大切さには変わりがないものの、同時に、現在のような事態にあって、たとえ実際に集まらなくても、霊的な共同体を育んでいく術を、見いだすように求められていると思います。

 そもそも私たちの信仰は、共同体の信仰です。私たちの信仰は、「交わり」のうちにある信仰です。「交わり」とは、「共有する」ことだったり、「分かち合う」ことだったり、「あずかる」ことを意味しています。コリント書に「私たちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。私たちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか(コリントの信徒への手紙1・10章16節)」とある、「あずかる」は、「交わり」のことです。私たちの信仰は、キリストの体である共同体の交わりのなかで、生きている信仰です。

 教会に集まれない今、私たちは祈りの時を共にしながら、主日には霊的聖体拝領が勧められていますが、その霊的聖体拝領は、個人の信心のためではなくて、共同体の「交わり」のためであります。キリストの御体にあずかること、すなわち、交わりです。

 ですから、離れていたとしても、私たちは一つのキリストの体の一部としてあり、その交わりの中で一致へと招かれているのだ、ということを忘れないようにいたしましょう。

 主イエスは「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」と福音の中で語られます。

 イエスは、地図に既に描かれている道を案内してくれるガイドではなくて、「自分こそが、何もないところに、新たに切り開かれていく道そのものである」と宣言されます。すなわち、御父へと至る道は、既に存在している道ではなくて、常にイエスご自身が先頭に立って切り開いて行かれる新しい道であり、イエスご自身のことであります。ですから、私たちは御父へと至る道を、一人で勝手に歩むことはできません。新しい道を知らないからです。イエスに付き従って、歩み続けなければなりません。そしてその道を、私たちは共同体の交わりのうちに歩みます。共に分かち合い、支え合いながら、共同体として道であるイエスに付き従います。

 初代教会では、弟子の数が増え続け発展してきた頃に、その実際の運営を巡って対立と混乱が生じたと、使徒言行録に記されています。そこで、「教会共同体にとって優先すべきことは何か」を識別し、そのために新たな教会のあり方を定めていったのです。第一の変革です。「神の言葉を告げ知らせること」こそ優先すべきである、と識別した教会は、そのための制度を整えたことで、さらに発展を遂げていきました。

 今の時代にあっても、その優先事項は変わっていません。教会は「神の言葉をないがしろ」にしてはなりません。神の言葉をさらに多くの人たちに告げていくために、この状況にあって、教会には、どのようなあり方がふさわしいのか、見直していかなくてはならないのです。新たな挑戦を何も始めなければ、集まることのできない教会は、御父へと至る道を切り開き、進まれる主を、遙かかなたに眺めながら、取り残されていくだけです。今、教会は、変革の時にあります。

 特に、洗礼を受けた後、様々な事情から、教会と距離を置かれている多くの方々に、心から申し上げたい。教会は今、変わらなくてはなりません。そのためには、皆さん一人ひとりが必要です。

 さて、そのような旅路を続ける中で、「神をあがめ、キリスト者を神の御旨と完全に一致した生活に向かうように導く」のは、聖母マリアへの信心である、と述べたのは、パウロ六世でした(「マリアーリス・クルトゥス」39項)。

 教会は伝統的に五月を聖母の月としていますが、今年の聖母の月にあたり、教皇フランシスコはすべての信徒へ書簡を送り、次のように招いておられます。

 「五月は、神の民がとりわけ熱心におとめマリアへの愛と崇敬を表す月です。五月には家庭で家族一緒にロザリオの祈りを唱える伝統があります。感染症の大流行によるさまざまな制約の結果、私たちはこの『家庭で祈る』という側面がなおさら大切であることを、霊的な観点からも知ることになりました」

 教皇は二つの祈りを用意され、ロザリオを唱えるときに祈るように、と招いておられます。

 今週、5月13日は、ファティマの聖母の祝日です。1917年5月13日から10月13日の間にポルトガルで、ルチア、ヤシンタ、フランシスコの三人の子どもたちに、聖母は六回出現されました。

 2017年5月13日行われたヤシンタとフランシスコの列聖式の説教で、教皇フランシスコはこう述べておられます。

 「ルチアによれば、3人の子供たちは聖母から発せられた光に包まれたといいます。聖母は神から与えられた光のマントで彼らを包まれたのです。聖母のマントの下にあるものは失われません。聖母の抱擁によって、必要な希望と平和がやってくるでしょう。親愛なる兄弟姉妹の皆さん、他の人が耳を傾けてくれるとの希望をもって神に祈りましょう。そして他の人に語りましょう、神は確かに私たちを助けて下さると」

 同じ確信を持って、困難な状況にある私たちは、聖母の取り次ぎを求めて祈りましょう。聖母マリアが、私たちを、「神の御旨と完全に一致した生活」に向かうように、道、真理、命である主イエスへと導いてくださるように、祈りましょう。また聖母の取り次ぎによって主へと導かれた教会が、自らのあり方について識別を深め、困難な時期にあって、社会における希望の光となる道を見いだすことができるように、祈り続けましょう。

(表記を当用漢字表記に統一してあります「カトリック・あい」)

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2020年5月10日