・「命を守り、人間の尊厳を守る教会の務めに終わりはない」-菊地大司教・四旬節第三主日メッセージ

2023年3月11日 (土)週刊大司教117回:四旬節第三主日A

2021_01_20_img_0319-2 東北の地を巨大な地震と津波が襲って、今日で12年となりました。改めて亡くなられた方々の永遠の安息を祈ります。また東北の地の日々の歩みを、命を生み出し、すべてを創造された御父の愛と慈しみに満ちあふれた御心が、守り導いてくださるようにと、改めて祈ります。

 日本の教会全体としての復興への取り組みは、10年をもって一区切りをつけましたが、現在でも、東北の各地で、復興の歩みの中で築き上げられた結びつきが、全国に広がって絆のように固く結ばれ、ともに歩む道程は続いています。考えてみれば、今、世界全体で教会が取り組んでいる”シノドスの道”の歩みは、東北の地では12年前から具体的に実践されていた、と言えるのかも知れません。その12年のあゆみを、ローマでのシノドス(世界代表司教会議)に伝えることができれば、と思います。

 なお11日午後2時から、聖イグナチオ麹町教会で、イエズス会の助祭叙階式が行われ、森晃太郎さんと渡辺徹郎さんのお二人のイエズス会士が助祭に叙階されました。おめでとうございます。この機会に、さらに司祭・修道者の召命のために祈りましょう。

 以下、本日午後6時配信の週刊大司教第117回、四旬節第三主日のメッセージ原稿です。

【四旬節第三主日A 2023年3月12日】

 ヨハネによる福音は、のどの渇きを癒す水について話すサマリアの女に対して、自らの存在がもたらす永遠の命について語るイエスの言葉を記します。

 「私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」

 永遠の命に至る水を与える、と語る主イエスに従う教会は「命の福音」を語り続けます。人間の命は、神から与えられた賜物であるが故に、その始まりから終わりまで例外なく守られ、神の似姿としての尊厳は尊重されなくてはならない、と教会は主張し続けます。

 教皇ヨハネパウロ二世は、人間のいのちを人間自身が自由意思の赴くままに勝手にコントロールできるのだという考えは、いのちの創造主である神の前での思い上がりだと戒めながら、社会の現実を「死の文化」とよばれました。そして教会こそは、蔓延する死の文化に対抗して、すべての命を守るため、「命の文化」を告げ知らせ、実現しなければならない、と強調されました。

 教皇ヨハネパウロ二世は、回勅「命の福音」に、「『殺してはならない』というおきては、人間の命を尊び、愛し、守り育てるといった、いっそう能動的な観点においても、一人ひとりに拘束力を持っています」と記しています。

 キリストに従う私たちの心には、「人間のいのちを尊び、愛し、守り育て」よという神の声が響き渡ります。私たちは、キリストの与える命の水を、この世界の現実の中で分け与えるものでなくてはなりません。

 先日3月10日は、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」でした。率先して命を守り、人間の尊厳を守るはずの聖職者や霊的な指導者が、命に対する暴力を働き、人間の尊厳をないがしろにする行為を働いた事例が、相次いで報告されています。被害を受けられた方々に長期にわたる深い苦しみを生み出した聖職者や霊的指導者の行為を、心から謝罪いたします。

 教会全体として対応を進めていますが、命を守り、人間の尊厳を守るための務めに、終わりはありません。聖職者をはじめ教会全体の意識改革などすべきことは多々あり、教会の取り組みもまだ十分ではありません。ふさわしい制度とするため、見直しと整備の努力を続けてまいります。

 教会が命の水を生み出し分け与える存在となるように、これからも共に務めて参りましょう。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教、日本カトリック司教協議会会長)

(編集「カトリック・あい」=表記は、当用漢字表記に統一してあります)

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2023年3月11日