(2020.3.4 VaticanNews)
教皇フランシスコが就任以来初めて欠席したバチカン高官の四旬節黙想会では、今年の講話者であるピエトロ・ボバティ師が、現代の偶像崇拝に対して警告し、「励ましの働き」を勧めた。
教皇はバチカンの宿舎、カサ・サンタマルタでミサを捧げ、祈りの生活をおくりながら、黙想会に”霊的参加”を続行。バチカン報道官は教皇の容態について 「風邪の症状が続いているが、他の病気に起因する症状はありません」と説明している。
*黙想3日目の午後の講話:偶像崇拝は「儀式偏重」の中に
ポバディ師は、旧約聖書の出エジプト記の「黄金の子牛」の話を取り上げ、「偶像崇拝は『過去の話』とされることもありますが、今でも『大罪』であることに変わりはありません」と述べた。
そして、偶像崇拝のさまざまな側面を振り返りながら、そこに、見えない神の声に「耳を傾ける」のではなく「見る」ことを選ぼうとする、「確かさ」への欲求がある、と指摘。また、特に現代のデジタル世界における、偶像崇拝の対象を追い求める危険性について警告し、「儀式の偏重は、一種の『偶像崇拝」となり得ます。神の言葉を聞き、受け入れる本物の祈りを欠いた『美しい儀式』となってしまう恐れがあります」と語った。
「イエスは、偶像崇拝の誘惑を克服されます。荒れ野でご自身を試みようとするサタンを打ち負かした時にです。このイエスの模範によって、主は私たちに盲目の状態を克服する方法を教えてくだされのです」と強調した。
*黙想4日目の朝の講話:励ましの務めを果たす
黙想開始から4日目の朝の瞑想で、ボバティ師は「今日、人々が感じる恐怖に対する唯一の解毒剤は『人類の歴史に介入される神の言葉」だ、と語った。
そして、モーセに率いられたイスラエルの人々が紅海を渡る場面(出エジプト記14章)と、イエスが湖の上を歩く場面(マタイ福音書14章)を比べ合わせ、前者では、人々がエジプトからの脱出の難しさに落胆するが、「モーセは、彼らを批判するのではなく、『励ましの務め』を果たすことで、人々が神を信頼するのを助け」、後者では、使徒たちは嵐で舟が危なくなって怖くなるが、「イエスは水の上を歩いて彼らのところに来、『恐れることはない』と言って励まします… そして、ペトロに同じように水の上を歩いて来るように言われ、彼が風を見て怖くなり沈みそうになると、彼を支えます」と指摘した。
*イエスは私たちを救い、解放してくださる
最後に、ボバティ師は、「私たちを解放し、私たちを救ってくださる主への賛美の祈り」として、詩編124を祈るように出席者に勧め、講話を終えた。「イエスが『”ある”というもの』でなければ、私たちは深い水の底で果てたでしょう… しかし、私たちは沈められません。”輪なわ”は壊れ、私たちは解放されるのです」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)