・「アジア全域で三位一体の神を証しし続ける」-菊地大司教の「三位一体の主日」説教

2021年5月29日 (土)週刊大司教第二十八回:三位一体

 聖霊降臨の主日の次の日曜日は、三位一体の主日です。

 私たちが洗礼を受けた「父と子と聖霊」である神の三位一体について、「カトリック教会のカテキズム」には、こう記されています。

 「三位は一体です。三つの神々ではなく、三者として唯一の神、すなわち、実体として一つである三位の神を、私たちは信じています。三者が唯一の神性を分かち持つのではなく、それぞれのは神そのものなのです… 三つのペルソナのそれぞれが、神的実体、神的本質ないし本性という、同じ状態なのです」(253項)

 私たちは、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり」に(コリントの信徒への手紙)、すなわち「三位一体の神における交わり」に常に招かれています。

 緊急事態宣言が、6月20日まで延長されることになりました。東京教区としては、これまで継続してきた感染対策を今一度見つめ直し、徹底させていくようにいたします。変異したウイルスの存在も顕著になってきているようです。感染の機会をできる限り避けるように務めるとともに、ご自身やご家族の方々に少しでも不安がある場合は、ご自宅でお祈りをお続けください。

 確かに実際に教会で互いに出会わないことで、教会における絆が薄れてしまっているように感じます。しかし、昨年来たびたび申し上げているように、教会は交わりの共同体であって、三位一体の神における交わりへと招かれている共同体です。

 ですからその共同体は霊的につながっています。聖堂に集まってともに祈り、感謝の祭儀にあずかることは、もちろんわたしたちの信仰の中心にありますが、同時に私たちの信仰における絆は、時間と空間を超越していることも、そしてどこに在っても三位一体の神の懐に抱かれていることを、心に留めましょう。

 以下、29日夕方6時配信の、週刊大司教第28回目のメッセージ原稿です。メッセージの中で、アジアにおけるカトリック司教協議会の連盟組織であるFABCに触れています。もちろん日本の司教協議会もそのメンバーで、現在は常任委員会に委員長として高見大司教が参加しています。また私も来年までの任期で、人間開発局(Office for Human Development)の委員を拝命しています。現在二回目の二期目です。FABCは昨年、創立50年を迎えました。

 

【三位一体の主日B(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第28回 2021年5月30日】

 「至聖なる三位一体の神秘は、キリスト者の信仰と生活の中心的な神秘です。・・・信仰の他のすべての神秘の源、それらを照らす光なのです」と「カトリック教会のカテキズム」には記されています。(234項)

 私たちが「父と子と聖霊のみ名によって」洗礼を受けること、それが、「すべてのキリスト者の信仰は、三位一体に基づいて」いることを明示する、とカテキズムは記します。(232項)

 パウロは「ローマの教会への手紙」に、「人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によって私たちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」と記します。御父を「私たちからかけ離れた、厳しく裁く存在」として見るのではなく、私たちは「聖霊の導きによって御子と同じように御父を親しく感じる者とされているのだ」とパウロは強調しています。

 復活の主に出会い、聖霊をいただいた私たちは、その聖霊に導かれ、父と子と聖霊の交わりへと招かれ、神の子としてキリストと同じ相続人となるのだ、と強調することで、パウロは私たちの信仰が、「三位一体の神秘のうちにあること」を強調します。

 マタイ福音は、三位一体の交わりに招かれた私たちに、主は、「あなた方は行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けるように」と命じたと記します。すなわち、私たちは、三位一体の神秘にあずかることによって生かされ、その交わりに招かれた者として使命をいただき、全世界の人を三位一体の神秘における交わりに招くように遣わされています。私たちは自分の思いを告げる者ではなく、三位一体の神を告げる使者であります。

 アジアのさまざまな国や地域に置かれている司教協議会の連盟組織であるFABCアジア司教協議会連盟は、昨年で創立50年となりました。

(写真右は、2009年にマニラで開催されたFABC=アジア・カトリック司教協議会連盟=総会。故岡田大司教も参加されました)

 この50年間、アジア全域において、三位一体の神を証しし、イエスの福音を告げ知らせるために、牧者である司教たちの交わりを通じて、福音宣教への共通理解を深めてきました。中でも、FABCは三つの対話、すなわち、「人々(特に貧しい人々)との対話、諸宗教との対話、多様な文化との対話」が、アジアでの宣教において共通する重要課題である、と指摘し続けてきました。

 教皇ヨハネパウロ二世は、1998年のアジア特別シノドス後に発表した「アジアにおける教会」に、 「私たちは、アジアの膨大な人口そのものと、人類家族の遺産と歴史のかなりの部分を形作っている多くの文化、言語、信条、伝統の複雑なモザイク模様に驚かずにはいられません」(6)と、アジアの現実を生み出す背景を記されました。

 その上で、「教会は、これらの伝統を非常に深く尊敬し、これらの信者と誠実な対話をしよう、と努力しています。彼らが教えている宗教的価値は、イエス・キリストにおいて成就されることを待っているのです」(6)と記しておられます。

 同時に教皇は、「シノドス参加者は、アジアの社会と文化と宗教における聖霊の働きを喜んで認めました。それらを通して、御父は、アジアの諸民族の心をキリストにおいて完全に成熟するように準備しているのです」(2)とも指摘されます。

 アジアの一員であるこの国において、私たちは聖霊に導かれて、御子イエスの福音を証ししようとしています。聖霊の導きに勇気を持って信頼し、さまざまなレベルでの対話を忍耐と喜びを持って続けながら、交わりへと招かれる三位一体の神を、証し続けて参りましょう。

  (編集「カトリック・あい」)

 

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2021年5月29日