2024年4月27日 週刊大司教第164回:復活節第五主日B
また同日午後2時半からは、アンドレア司教様司式で、世界召命祈願の日のミサがカテドラルで捧げられ、コロナ以前のように多くの方が集まってくださり、当日参加した男女の修道者や教区の神学生とともに、召命のための祈りをささげてくださいました。また数年ぶりに、ミサ後の懇親会も復活し、養成を受けている方々など、修道会や神学院の紹介も行われました。司祭・修道者の召命のためにお祈りください。またキリスト者一人一人に与えられている召命を、自覚し、ふさわしく生きていくことが出来るように、互いに祈り合いましょう。
日本の司教団は先日、アドリミナの訪問のために、全員でローマに出かけてきました。定期的にローマを訪れ、教皇様を始め聖座に、それぞれの教会についての定期的な報告をすることや、聖座の省庁から指導を受けることもありますが、もう一つ大事なことは、使徒の後継者として、聖ペトロと聖パウロの墓前でミサを捧げ、司教としての務めを果たすことを改めて心に誓うことがあります。
司教にとってそれは、自分たちがどこに繋がっているのかを確認することであり、また同時に司教たちを通じて、それぞれの地方教会が、どこにつながっているのかを再確認することでもあります。イスラエルなどの聖地巡礼は、私たちの信仰の原点を思い起こさせますが、アドリミナでのローマ訪問は、教会が普遍教会として世界に広がり、また同時に一つに繋がっていることを思い起こさせます。
私たちは、ローマの司教であり聖ペトロの後継者である教皇様に繋がることで、主イエスによって呼び集められた弟子たちに繋がり、今もまた聖霊によって導かれている教会共同体の一員であることを、再確認します。
使徒言行録は、回心したパウロが、当初は彼を迫害の手先として恐れていた弟子たちから受け入れられ、その出来事を通じて教会が、「平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えて」言った様を記しています。
神の救いの計画は、人知をはるかに超えた方法をとりながら、成就する道をたどることを、改めて私たちに認識させます。教会は、その始まりから、聖霊に導かれ、人間の知恵を遙かに超える道を歩み続けてきました。教会は、聖霊によって導かれています。。
ヨハネ福音は、主ご自身が、「ぶどうの枝が、木に繋がっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、私に繋がっていなければ、実を結ぶことができない」と指摘された話を記しています。
ぶどうの木である主イエスに繋がっている限り、枝である私たちは「豊かに実を結ぶ」ことが可能となります。私たちはぶどうの木の枝として、世界に広がり、繋がっている教会です。
しかし同時に、その豊かな実の中身がどのような実りであるのかは、枝が自由に決めることはできません。すなわち、私たちが幹である主イエスに枝として繋がっているのであれば、それは私たちが好ましいと考える実りを生み出すためではなくて、主ご自身が望まれるみのりを、主の思いのままに実らせることであります。聖霊の導きのままに、実りを生み出すことです。
豊かな実りは、主の実りであって、私たちの実りではありません。仮に、自分の理想の実現を実りだと考えるのであれば、それは教会に働く聖霊の導きを否定することに繋がります。教会が今歩んでいるシノドスの道こそは、私たちが一つの幹に連なっている枝であり続けることを、明確に思い起こさせています。私たちは、自分の実りではなく、主の実りを生み出す枝でありたいと思います。
(編集「カトリック・あい」)