
19日は聖霊降臨の主日です。この日は、聖母マリアと共にいた弟子たちに聖霊が降り、様々な国のことばで福音がのべ伝えられるようになった、と使徒言行録に記されていることから、「教会の誕生日」とも言われます。
東京教区では、午後からカテドラルで、合同堅信式が行われます。堅信の準備をされてきた皆さん、おめでとうございます。聖霊の豊かな照らしを受けて、成熟した大人の信徒として、共同体においてそれぞれの務めを果たして行かれますように。また主から与えられた、福音宣教の務めを、忠実に果たすものでありますように。
以下、18日午後6時配信、週刊大司教第167回め、聖霊降臨の主日のメッセージ原稿です。
【聖霊降臨の主日B 2021年5月19日】
使徒言行録に記されている聖霊降臨の出来事の特徴は、いったい何でしょうか。
まず、聖霊は、「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっている」ところで働いています。すなわち、聖霊は単独で一人ひとりに他者と無関係に働くのではなく、共同体が一致しているところに働いています。そして、その時には、「激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが集まっていた家中に響いた」と記されています。激しい音は周囲にも響き渡り、「この物音に大勢の人が集まってきた」とも記されています。すなわち、聖霊が働いているところには静寂が支配しているのではなく、騒々しさが支配しています。
第二バチカン公会議の教会憲章は、教会に聖霊が与えられたことによって、「聖霊は教会の中に、また信者たちの心の中に、あたかも神殿の中にいるかのように住み… 福音の力を持って教会を若返らせ、たえず新たにし、その花婿との完全な一致へと導く(4項)」と記します。
重要なのは、聖霊によって生かされ、常に刷新されている教会は、聖霊が働いているのですから、決して落ち着いた静かな教会ではあり得ません。騒々しい、落ち着かない教会です。一人でそんな所に取り残されたのなら、耐えきれないかも知れません。だからこそ、聖霊は、皆が一致して集っている共同体に働くのです。互いに支え合い、助け合い、共に歩む兄弟姉妹がいるところに働くのです。聖霊は教会共同体に、多様性における一致をもたらします。
現代世界憲章は、「神の民は、世界を満たす主の霊によって自分が導かれていることを信じ、この信仰に基づいて、現代の人々と分かち合っている出来事、欲求、願望の中に、神の現存あるいは神の計画の真のしるしを見分けようと努める(11項)」と記します。
すなわち、教会は「社会の現実から切り離された隠れ家」となるのではなく、積極的に社会の現実を識別し、神の計画を見極めるために出向いて行く存在です。出向いて行き、様々な困難な現実と対峙し、そこに神の秩序をもたらそうとするからこそ、常に落ち着かない騒々しさがあるのです。何もせず、平穏無事が支配する静的な共同体は、一見、何も問題がなく、好ましく思われますが、もしかしたら、そこには聖霊が働いていないので、静けさが支配しているのかも知れません。聖霊の働きと照らしを祈ることは大切です。
昨年10月に開かれた世界代表司教会議(シノドス)総会の第一会期の最終文書は、次のような文章で始まっています。
「一つの霊によって、私たちは、……皆一つの体となるために洗礼を受け(コリントの信徒への手紙1・12章13節)ました。これが… 私たちが味わった喜びと感謝に満ちた体験です。背景、言語、文化の多様性にもかかわらず、洗礼という共通の恵みによって、私たちは、心を一つにしてこの日々を共に過ごすことができました… 聖霊が私たちに与えてくれたのは、聖霊だけが生み出す方法を知る調和を体験することであり、それは引き裂かれ、分裂した世界における賜物であり、証しです」
シノドスは、霊における会話を通じて互いに耳を傾けることで、妥協による一致ではなく、互いの違いを認識しての一致へと道を歩むように求めます。教会に働く聖霊は、一部のカリスマのある人にだけ働いているのではなく、皆に違う形で働き、騒々しい常に動きのある共同体を生み出し、同時に共同体のすべての人を等しく一致へと導きます。
私たちの教会共同体は、どのような共同体でしょうか。