・「神にとって、ご自分が創造された命はすべて等しく大切な存在」菊地・東京大司教の年間25主日メッセージ

2026年9月19日 (土)週刊大司教第269回:年間第25主日A

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 九月に入り、東京はなかなか秋晴れとは行かず、曇り空や雨が続いていますが、涼しくなってきました。連休を前に、台風の影響を受け始めた地域も少なくありません。

 本日(19日)土曜日は、年に四回開催されている東京教区の宣教司牧委員会の開催日です。東京教区は地区制度を採用しておらず、3から4の小教区が一つになり、22の宣教協力体に別れています。

 岡田大司教様が考えられた当初は、その一つ一つが小教区に発展していくことも考えられていたようですが、現時点では、宣教協力体内で互いに情報交換をしたり、行事を共催したりと、それぞれの宣教協力体で取り組みは異なっています。

 その宣教協力体から信徒の代表に出席いただき、教区全体の司祭を代表して数名の司祭が司祭評議会から派遣され、教区司教からの諮問に答えるためにに協議を重ねています。

 それぞれの宣教協力体代表の信徒の方の立場が異なっているため、以前からどの程度までの決定権があるのかは議論があったところです。

 現在は、あくまでも教区司教の諮問機関として、アドバイスをする立場となっていただいており、教区全体の議決決定機関ではありません。特に、現在進められているシノドスの歩みに関して、この宣教司牧委員会が率先してシノドス的なあり方を模索し、それを各宣教協力体に持ち帰り、実践することを目指し、いまは、教区司教の諮問事項として、東京教区の宣教司牧方針の見直しのために、シノドス的な霊における会話を繰り返しておこない、宣教司牧の優先課題を見いだすことを続けていただいています。

 議題があって議論を重ねて結論を出す、というのが従来の会議体ですが、シノドスの歩みが目指しているのは全く異なる道です。試行錯誤が続くとは思いますが、宣教司牧評議会での実践が、各宣教協力体へのシノドスの歩みの浸透への道筋になることを祈っています。

 参加してくださっている各宣教協力体の代表の方々、司祭の代表の方々には、雲をつかむようなことに挑戦していただき、感謝申し上げます。

 なお、日本の教会では、敬老の日の前日の主日を「祖父母と高齢者のための世界祈願日」としています。今年は明日、9月20日です。今年の教皇様のメッセージ、「わたしがあなたを忘れることは決してない」は、こちらのリンクからご覧いただけます。

 以下、本日午後6時配信、週刊大司教第269回、年間第25主日のメッセージです。

【年間第25主日A 2026年9月20日】

 教会は9月1日から10月4日までを「被造物の季節」と名付け、日本の教会では「すべてのいのちを守るための月間」と位置づけています。

 回勅「ラウダート・シ」を2015年に発表された教皇フランシスコは、翌年から9月1日を、「被造物を大切にする世界祈願日」と定められました。東京教区を始め多くの教区では、その直後の日曜日、今年は9月6日でしたが、この意向でミサを捧げる日としています。この意向のための特別なミサ典礼も準備され、中央協議会のサイトなどから見ることができます。

 「ラウダート・シ」が求める「共通の家を守る」という理念の啓発に取り組み、また霊的に深めていくために、この期間を、すべての被造物を保護するための祈りと行動の特別な時とすることが求められています。
今年の「被造物を大切にする世界祈願日」にあたり、教皇レオ14世はメッセージを発表され、そのタイトルを、イザヤ書2章から、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」とされています。

 メッセージの中で教皇は、「国々が「剣を打ち直して鋤とし」、命を損なうものを、命を支えるものへと変える時が来ると語りました。ところが、今日、私たちは、それとはまったく逆のことばかりを目にします。暴力と戦争へと心血を注ぎ続けているのです」と指摘されています。

 その上で教皇は、戦争こそは「次々と犠牲者を生み、家族を引き裂き、何百万人もの人を故郷から追いやり、恐怖と不正義と分断を募らせ」ると述べ、「何世代にもわたる社会の荒廃と環境の破壊を残す」ことによって、悪循環を生じさせていると指摘され、「真理、対話、忍耐、善意、正義、いつくしみ、理解、配慮、愛」によって、人々の心に癒しを生み出そうと呼びかけています。

 さて、マタイの福音に記されたぶどう園で働く労働者と主人の話は、なんとなく心が落ち着かない話であります。給与は労働の対価だ、という考え方に基づくならば、雇用の現場で、同じ職種にもかかわらず、丸一日働く人と1時間しか働かない人を、全く同じ給与にしたとしら、あっという間に労働争議になってしまうことでしょう。

 しかしイエスの本意は、「私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」という言葉にあります。イエスが語るのは、ご自分の慈しみです。ご自分が愛を持って創造し、賜物として与えられたいのちを、どれほど大切にしておられるか。その命に対する愛は、分け隔てなく、価値における優劣の差もなく、すべからく大切であり、愛を注ぐ対象であり、慈しみのうちに包み込む対象なのだということ、この言葉は明確にしています。

 司教団のラウダート・シ部門担当の成井司教様の言葉ですが、「『ラウダート・シ』が教えるように、この世界のすべてのものはつながっており、生きるために互いを必要としています。この「すべての命を守るための月間」の間、私たちは、命のつながりを大切にする小さな取り組みを続け、それが家庭へ、地域社会へ、そして被造物全体へと流れ出ていくよう努めましょう。」

 命の与え主である神にとって、どのような違いがあったとしても、ご自分が創造された命は、すべからく等しく大切な存在であることを、今日の福音は明確にしています。

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2026年9月19日