・「主イエスの生き方に倣って、常に互いを受け入れ合う道を歩む」菊地・東京大司教の年間第24主日メッセージ

2026年9月12日 (土)週刊大司教第268回:年間第24主日A

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 九月に入っても各地で大雨が続くなど、落ち着くことのない天候に左右させられる日が続いています。国内だけでなく、世界各地で自然災害の被害が報告され、亡くなられた方も多数おられます。

 被害を受けられた多くの方のために祈りを捧げるとともに、教会共同体が存在している地域にはカリタスがありますから、各地のカリタスを通じて被災された方々と共にありたい、と思います。以前にも増して、大きな国としてのカリタス組織より、地域の小教区共同体に根ざした地域のカリタスの存在が重要になっています。

 日本の教会は普遍教会と連帯して「すべてのいのちを守るための月間」を、10月4日まで続けています。

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 東京教区の取り組みとして、先週土曜日、5日の午後、司教協議会の「ラウダート・シ」部門担当の成井司教様においでいただき、講演をしていただき、その後、カテドラルでミサを捧げていただきました。100名ほどの方にお集まりいただいたことを感謝いたします。

 当日の講演は、撮影してありますので、後日公開されるものと思います。

 また本日12日午後後2時から、カトリック麹町聖イグナチオ教会で、イエズス会の司祭叙階式が行われ、イエズス会員のコエーリョ・ニティン・リズボン師が、司祭に叙階されました。司祭叙階、おめでとうございます。これからの活躍に期待しております。

 以下本日午後6時配信、週刊大司教第268回、年間第24主日のメッセージです。

【年間第24主日A 2026年9月13日】

 マタイ福音は赦しと和解について語ります。私たちは基本的に身勝手な存在です。自分が犯した間違いはできるだけ寛大に赦してほしいと思う反面、自分に対する他者の過ちに対しては、それほど寛大になれないどころか、時として、できる限る厳しく罰してしまおう、とさえします。

 赦しを願っている相手の立場に立つことを想像できるのであれば、相手がどれほど過酷な状況にあるのかは、分かりそうなものですが、なかなかそうは簡単に寛大にはなれないものです。

 この世界に生きていく限り、全く他者との関係なしに生きていくことができませんから、私たちは常に他者との関係の中で命を生きています。人間関係における経験から、自分と全く同じ人に遭遇する可能性が、極めて低いことに気がつきます。

 ですから私たちの人生は、常に互いの理解の相違にあふれ、互いを理解することができないために、どうしても相手を裁いてしまいます。時として、その裁きは私の心の中に怒りを生みだし、怒りは憎しみに発展し、結果として対立関係が生み出されます。

 第一朗読のシラ書に是非とも目を通してください。今日の朗読はこう始まります。「憤りと怒り、これはひどく忌まわしい。罪人にはこの両方が付きまとう… 隣人から受けた不正を赦せ。そうすれば、願い求めるとき、おまえの罪は赦される。」

 他者に対して憤りと怒りの感情を抱き、相手を裁いたままでは、自分と神との関係をただすこともできないと、シラ書は記しています。

 私たちは完全な者ではありませんから、しばしば罪を犯し、神の求める道を踏み外したり、神に背を向けてしまったりします。人生の中で何度、そういった過ちを犯すことでしょう。

 社会はそういう私たちの集まりなのですから、その中にある教会共同体も、同じように罪人の集まりです。教会は決して罪を犯さない聖人のような選ばれた人だけの集まりではありません。教会共同体は社会に対する証しの印として、罪人が共に集い、互いの関係を赦しの心のうちに修復し、そのうえで、共に神に向かい、共に神の赦しを求めるのだ、ということを明確に示す存在でなければなりません。私たち同士の赦しと寛容さの無いところに、神の赦しはありません。

 マタイ福音は、「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」と言うイエスの言葉を記しています。七の七十倍という言葉で、限りない深さを持った神の慈しみを示します。また「その赦しをいただいた者が、その憐みを他者との関係において分かち合うことなく、かえって隣人を無慈悲に裁いた話」をイエスはたとえとして語られ、「他者を裁く者には、神の赦しがないこと」も明示されています。

 信仰者としての私たちの人生は、主ご自身が生きられた通りに生きることを目的としています。その主の人生とは、十字架上の苦しみの中で、ご自分に襲いかかるものを赦す慈しみであり、愛するすべての命の救いのために、自らを犠牲として捧げた、隣人愛の極みであります。ですから私たちは、憐み、慈しみそのものである神に倣って生き、他者との関係の中で、徹底的に赦し、常に互いを受け入れ合う道を歩まなくてはなりません。

 主イエスの生き方に倣って、証しの人生を歩みましょう。

(編集「カトリック・あい」)

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2026年9月12日