「わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう」

教皇、ネットゥーノの米軍戦没者墓地でミサ

(2017.11.2バチカン放送)カトリック教会の典礼暦で「死者の日」を記念した11月2日、教皇フランシスコはイタリア中部、ネットゥーノの米軍戦没者墓地でミサを捧げられた。

ローマの南50kmの沿岸にあるネットゥーノ市には、第2次世界大戦下のイタリアに連合軍として上陸し、戦闘の犠牲となった米兵たちが葬られている。

「シチリア-ローマ 米人記念墓地」という名が示すように、ここには、1943年7月のシチリア島上陸に始まり、サレルノやアンツィオへの上陸を経て、1944年6月のローマ解放に至るまでの間、各地で命を落とした兵士たちを偲ぶ7862の墓標が並び、礼拝堂には3095人の行方不明者の名が記されている。

墓地に到着された教皇は、緑の芝生の上に続く白大理石の墓標の列の間をゆっくりと歩みながら、戦没者たちのために祈り、白いばらの花を手向けられた。

墓地のモニュメント前で司式された教皇ミサは、すべての戦争の犠牲者のために捧げられた。

説教で教皇は、「今日、わたしたちは希望のためにここに集っています。そして、一人ひとりが心の中に、『わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう』というミサ中に聞いたヨブの言葉を繰り返すのです」と語られた。

希望は多くの場合、人間の傷や苦しみから生まれると述べながら、教皇は「無益な戦争を止めてください」と神に願ったベネディクト15世の祈りを、ここに葬られた青年たちのため、また紛争のやまない今日の世界のために祈らなければならないと説かれた。

教皇は、ある老婦人が広島の原爆跡地を前に、苦しみと叡智から来る一種の諦観をもって、「人は戦争を始めて、戦いにすべてを費やしても、最後には自分自身を滅ぼしてしまう」と言っていたことを思い出すとも話された。

「これが戦争です。それは自分自身の破壊です。」「人間は戦争をするたびに、新しい世界がもたらされると確信していますが、それは最後には恐怖と死の支配に終わるのです」と強調された。

教皇は、今日、すべての死者のために祈りながら、特に今も戦争の犠牲となっている若者たち、子どもたち、無実の人たちのために祈るよう招かれた。

この夕方、ネットゥーノの米軍戦没者墓地を後にされた教皇は、続いて、戦時下のローマで、1944年3月24日、ドイツ軍によって連行・虐殺された犠牲者を記憶する場所、ローマ南部郊外のフォッセ・アルデアティーネを訪問された。

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2017年11月3日