♰教皇フランシスコの「無原罪の聖母への崇敬の祈り」

(2019.12.8 カトリック・あい)

 教皇フランシスコは無原罪の聖マリアの祝日の9日、ローマ市内のスペイン広場においでになり、以下の祈りを唱えられた。(Sr.岡による試訳)

けがれのないマリアよ、

 私たちはまた、あなたの周りに集まりました。

 人生の歩みを進むほど、神への感謝は増します、

罪人である私たちに、「けがれのない方」よ、あなたを、母を与えてくださったことを。

すべての人間の中で、あなたは唯一罪から守られました、世の罪を取り除く「神の小羊」、イエスの母として。

 しかし、このあなたの並外れた特権は、あなたの子である私たちすべての善のために、あなたに与えられました。

実際、あなたを見つめながら、私たちはキリストの勝利を見ます、神の愛の、悪に対する勝利:罪が増したところ、つまり人間の心の中に、恵みが満ち溢れました、
イエスの御血の、柔和な力を通して。

 母であるあなたは、私たちに思い起こさせます、私たちが罪人であることを、しかし、もはや罪の奴隷ではないことを!

 あなたの御子は、ご自分の「いけにえ」をもって、悪の支配を打ち砕き、世に勝ちました。

これは、すべての世代に語り伝えます、風がすべての雲を散らした天のように澄んだ、あなたの心を。

 このようにして、あなたはわたしたちに思い出させます、罪人であることと、堕落した人であることは同じではないことを:それはまったく異なります。

一方は、転んで、しかしその後、悔い改め、神のいつくしみの助けとともに再び起き上がること。他方は、悪との、偽善的な共犯、心の腐敗、それは、外側は非の打ちどころなく思われますが、内側は、邪悪な意図と、けちくさい利己主義で満ちています。

 あなたの澄み切った清さは、私たちに、率直さ(誠実さ)、透明さ、単純さを呼び起こします。

私たちは、どんなに必要としているでしょうか、最も深刻な危険である、心の腐敗から解放されることを!

それは、慣れて(中毒になって)しまっている私たちには、不可能に思われます、

 けれどそれは、すぐ近くにあります。あなたの母のほほえみに、あなたのけがれのない美しさに、まなざしを上げれば十分です、

私たちが、悪のために造られたのではなく、善のために、愛のために、神のために造られたということを再び感じるために!

 そのために、おとめマリアよ、今日、私はあなたに委ねます、

この街の、そして全世界の、不信によって、罪による落胆によって抑圧されているすべての人々を;

自分のために希望はないと思っている人々、自分の過ちが大きすぎると思っている人々、神は、自分のために時間を無駄にするわけはないと思っている人々を。

あなたに彼らを委ねます、あなたは母であるだけでなく、母として、あなたの子らを愛することを決して止めないだけでなく、「けがれのない方」、恵みに満ちた方でもあり、最も濃い闇の内側から、「復活したキリスト」の光の光線を反映させることが出来るのですから。

 キリストが、そしてキリストだけが、悪の鎖を打ち砕き、もっとも執拗な依存から解放し、もっとも凶悪な絆を解き、もっとも頑固な心を柔らかくします。

そして、もしこれが、人々の内側で起こるなら、街の表情はどんなに変わるでしょうか!
小さなジェスチャー(行為)と、大きな選択において、悪循環は、少しずつ徳の循環となり、生活(いのち)の質はより良くなり、社会的風土は、より呼吸しやすくなります。

 けがれのない母よ、あなたに感謝します、

 私たちに思い起こさせてくださることを、イエス・キリストの愛を通して、わたしたちがもはや罪の奴隷ではなく、自由であること、自由に愛し、大切にし合い、兄弟として助け合うことが出来ることを、
たとえ、私たちは異なっていても―神のおかげで、わたしたちは異なっています!

感謝します、

 あなたは純白さをもって、私たちを力づけてくださるから、善を恥ずことなく、悪を恥じるように;

私たちを助けてくださるから、欺きをもって私たちを引き寄せ、その内側は死である邪悪なものから、遠ざかるように;

私たちに、甘美な記憶を与えてくださるから、

私たちが、計り知れないやさしさの「父」、いのち、美、愛の永遠の源である神の子らであるという記憶を。アーメン。

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2019年12月9日