♰教皇の主の受難・復活を前にした一般謁見講話「キリストの十字架は希望のしるし」

Pope Francis during the General AudiencePope Francis during the General Audience  (Vatican Media)

(2021.3.31 Vatican News staff reporter)

 教皇フランシスコは31日水曜恒例の一般謁見での講話で、翌聖木曜日の主の晩さんから、聖金曜日の主の受難、そして聖土曜日の復活の聖なる徹夜祭に至る流れを考察された。

 まず聖木曜日の主の晩餐で、キリストが弟子たちの足を洗われ、愛についての新たな戒め、そしてすべての人の救いのためのご自身の体と血の犠牲の変わることのない記念としての聖体の制定に注意を向けられた。

 聖金曜日の主の受難では、教皇は、「典礼の儀式の厳しさの中で、私たちは崇拝のための十字架をいただくでしょう」とされ、「十字架を崇拝することで、私たちは、救いのために犠牲になられた罪のない子羊の旅を追体験します… この世界の病気の人、貧しい人、社会から拒絶された人の苦しみを心に抱きます。犠牲にされた子羊ー戦争、独裁、日々の暴力、中絶による罪のない犠牲者を思い起こすのです」と語られた。

 さらに、「十字架につけられたキリスト像を前にして、私たちは、現代において十字架につけられた多くの人々、慰めと苦しみの意味を主からのみ受け取ることができる人々のために、祈るのです」と強調。

 そして、教皇は「イエスが人類の傷と死そのものを背負われて以来、神の愛は、私たちのこうした”砂漠”を潤しました。私たちの闇を開かれました。それなのに、どうして世界が暗闇になっているのでしょう… それは私たちが、戦争に悩まされ、子どもたちが飢え、教育が不足する世界に住んでいるからです…多くの人は少しばかり気分を良くするために薬を服用します。それは破滅的な状況、砂漠です」と指摘された。

「小さな島々があります。それは、今よりよくなりたいという願望を心に抱いている神の民です。しかし、向き合いましょうーゴルゴタの丘の十字架上で、弟子たちに苦しんでおられるイエスに… キリストの傷によって私たちは癒され、キリストの死によって私たちは皆、生き返らされました。十字架上で打ち捨てられたキリストのおかげで、誰も、死の闇に一人孤独でいることはないでしょう」と述べられた。

 聖土曜日について、教皇は「弟子たちが、イエスの不名誉な死にショックを受け、嘆き、当惑する中で体験した、沈黙の日」とされた。また、「聖母マリアの日」でもあり、イエスの母マリアも涙の中でその日を過ごすが、「彼女の心は信仰に満ち、希望に満ち、愛に満ちています… 神の母は、魂を刺しぬかれたまま、十字架のもとに留まりました。すべてが終わったように思われてもそこに留まり、死者を蘇らせる神の約束に希望を置き続けたのです」と説かれた。

 そして、「そうなさることで、世界が一番暗い時に、聖母マリアは信じる者たちの母、教会の御母、そして希望のしるしになられました… 聖母マリアの証しと執り成しは、負うべき十字架が私たちにとって重くなりすぎた時の支えとなります」とされるとともに、「墓の所にいたイエスの敵が主の復活を否定したように、お金のために信じるものを否定することのないように」と警告された。

 こうした聖土曜日の暗闇は、「復活徹夜祭の典礼とアレルヤの祝いの歌とともに、喜びと光で突破されます」と教皇は語られ、現在多くの人が新型コロナウイルスの大感染始め沢山の苦しみの中にあるが、「キリストの十字架は、嵐の海を航行する船に、避難する港を示す標識にたとえられます。それは希望のしるし、神の救いの計画の中で、一粒の涙も一度の叫びも失われないことを、私たちに告げているのです」と励まされた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年3月31日