♰「誰が『隣人』か判断するのは、助けを必要とする人に慈しみをもって接する者」

(2017.7.14 VaticanNews Linda Bordoni)

 教皇フランシスコは14日正午のお告げの祈りの説教で、この日のミサで朗読されたルカ福音書の良きサマリア人のたとえ話(10章25-37節)を取り上げ、この人はキリスト教徒の模範、私たちは、隣人を愛することによってのみ、神への愛を示し、同時に、本当の信仰心と人間性を示すことになる、と強調された。

 「助けを必要としている人への慈しみは、愛の”素顔”です」とされた教皇は、他者を愛することによって、人はイエスの真の弟子となり、父である神の顔が明らかにされる、と語られた。そして「慈しみ深くありなさい、あなたの父がそうであるように」と福音書記者のルカの言葉を引用して、『隣人を愛しなさい』というキリスト教徒のための神の掟は、人生の唯一の、首尾一貫したルールだということを、強調された。

 さらに、このたとえ話にある「隣人」について、誰が隣人か、隣人でないかを判断するのは、自分自身の基準で判断する私たちではなく、助けを求められ、自分の隣人は誰かを識別できる人物、つまり、「助けを必要としている人に慈しみをもって接する者」と指摘。

 また、イエスがたとえ話の中で、好ましい人物としてサマリア人をお選びになったのは偶然ではなく、「ユダヤ人たちはサマリア人たちを軽蔑し、自分たち神に選ばれた民にとっては『よそ者』と見なしていました。そうした偏見を捨てるために、サマリア人をお選びになり、真の神を知らず、神の神殿に参っていない『よそ者』でも、神のご意思にかなった振る舞いをすることができる-助けを必要としている兄弟に同情し、自由意思でできる限りのことをして彼を助けた-ことを示そうとされたのです」と説かれた。

 そのうえで、教皇は「キリスト教徒の人生のカギは、他の人に同情することにあります」と強調され、次のように諭された。「助けを必要としている人を前にして、同情しないなら、心を動かされないなら、どうかしています… 道でホームレスの人と出会って、彼を見もしないで通り過ぎようとした時、あるいは、彼が『酔っ払っている』と思った時、彼が酒を飲み過ぎたのかどうかと考えるのではなく、自分の心が固く、冷たくなっているかどうかを自問しなさい」。

 そして、教皇は説教を、聖母マリアへの祈りで締めくくられた。「私たちの父なる神への愛と私たちの兄弟姉妹に対する惜しみない愛の間にある分かちがたい絆を強めていくように、助けてください。思いやりの中で成長する恵みをお与えください」。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

 

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2019年7月15日