♰「格差と分裂の現代社会、”人間家族”を再生するために、私たちは聖霊を必要としている」-聖霊降臨のミサで

(2019.6.9 VaticanNews Linda Bordoni) 

 教皇フランシスコは9日、聖ペトロ広場で行われた聖霊降臨の大祝日のミサの説教で、私たちを「調和を作る職人、良いことの種をまく人、希望の使徒」としてくださる聖霊の賜物を懇願するように、参加した信徒たちを強く促した。

 説教で、教皇はこの日の聖書の朗読箇所を取り上げられ、聖霊のおかげで、弟子たちの心配が消え、聖霊によって元気を回復した彼らは、生き方が変わった、とされたうえで、「聖霊は抽象的な実在とは程遠い、最も具体的で、身近かな方、私たちの生き方を変える方なのです」と述べられた。

 そして、「では、どのようにして、それをなさるのでしょうか」と信徒たちに問いかけられ、「聖霊は、使徒たちにとってなすべきことを、もっと容易にはなさいませんでした。目を見張らせるような奇跡もされませんでした。彼らが直面する障害と敵対者を取り除かれませんでした。聖霊は、使徒たちの生き方に、彼らに不足していた調和、をもたらされたーご自身の調和、ご自身が”調和”だからです」と答えを導かれた。

*調和をもたらす聖霊

 「復活された主を見るだけでは不十分です。私たちの心の中に喜んで迎え入れなければ」とされ、私たちの中にイエスを生かし、心底から力づけてくださるのは聖霊であり、「それが、イエスが弟子たちに現れた時、『あなたがたに、平和があるように!』という言葉を繰り返され、聖霊を授けられた理由です」「『平和』は外的な問題を解決することではなく、聖霊を受けることに関するもの… 聖霊に満たされることによってのみ、私たちの心は平和になり、『迫害さえも恵みに変える』ことを可能にする深い調和を成し遂げることができるのです」「一過性の諸問題を解決することが平和をもたらすことはないでしょう。『変える』のは、イエスのもたらす平和、聖霊のもたらす調和、なのです」と強調された。

*平和をもたらす聖霊

 さらに教皇は、現在の狂ったような生活のペースの中で、調和は脇に追いやられ、私たちはしばしば安易な解決方法を求めている、だが、私たちに何よりも必要なのは、聖霊であり、「聖霊は、騒々しさの最中の平和、失望の最中の確信、悲しみの時の喜び、老いの時の若さ、試練の時の勇気、なのです」とされた。

 そして、「聖霊なしには、私たちのキリスト教徒の人生はむなしく、全てをまとめる愛を欠いたものとなる。聖霊なしには、イエスは”過去の偉人”にどどまり、聖霊によって私たちの現在に生きておられる方になる。聖霊なしには、聖書は”死んだ手紙”となり、聖霊によって生きた言葉となる。聖霊を欠いたキリスト教は喜びのない道徳主義となり、聖霊によって命となるのです」と訴えられた。

 また、聖霊は私たちの中に調和をもたらすだけでなく、教会の特質と賜物のもつ素晴らしい多様性を創造的にもたらしてくださり、その多様性を基礎にして、聖霊は一致を作られる、と指摘され、「創造の初めから、聖霊はそうなさってきました。混沌と宇宙に変え、調和を作り出すスペシャリスト、だからです」と説かれた。

*一致をもたらす聖霊

 教皇は、現代世界の調和の欠落が、殺伐とした分裂をもたらしており、「多くを持ちすぎている人がいる一方で、何も持たない人がおり、百歳まで生きようとする人がいる一方で、生まれることさえできない人がいる」現実を指摘され、「現代のコンピューターの時代にあって、格差は拡大を続けており、ソーシャルディアを使えば使うほど、私たちは社会性を失っていきます」と警告。

 そのうえで、「私たちは、教会として、神の民として、人間家族として自分たちを再生するために、聖霊を必要としています」と訴え、「私たちの小さな集団にしがみつこうとする誘惑」を糾弾し、あらゆる堕落に抵抗するように呼びかけ、「聖霊は、離れ離れの人々をまとめ、遠くの人々を一致させ、別れ別れになった人々を故郷に戻します。様々に異なった色調を、調和するように混ぜ合わされます。それは、あらゆることの前に、善をご覧になるからです」と説かれた。

 続けて教皇は、「聖霊は、人々の過ちに目をやる前に一人一人をご覧になり、人々の行いの前に人物をご覧になります」とし、聖霊は「息子たちと娘たち、兄弟たちと姉妹たちの場」としての教会と世界を形作られる、と説明され、聖霊によって生きる人々は「不和のある所に平和をもたらし、争いのある所に和合をもたらします。聖霊に満たされた人は悪を善で返します。傲慢さには謙虚さで、悪意には善意で、叫びには沈黙で、噂話には祈りで、敗北主義には激励をもって、応えます」と説かれた。

*聖霊を欠いた教会は単なる”組織”

 説教の締めくくりに、教皇は、物事を見るのに聖霊のなさり方に倣うように、信徒たちに求められ、「そうすれば、全てが変わります。聖霊によって、教会は神の聖なる民となり、その使命は喜びを広げることになります。他の人々が私たちの兄弟、姉妹となり、同じ父のよってすべての人が愛されるのです」と訴えられ、聖霊を欠けば、「教会は”組織”、その役割は”プロパガンダ”となり、交わりは骨の折れるものとなります」と警告された。

 そして最後にこう祈られた。「神の調和である聖霊よ、あなたは恐れを信頼に変え、自己本位を自己奉献に変えられます。私たちのところに来てください…  私たちを和合の職人、善の種を撒く人、希望の使徒にしてください」。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2019年6月9日