♰「私は何者かーイエスの問いかけは私たち1人ひとりに向けられている」教皇の第21主日正午の祈りで

 

Pope Francis waves from the window of the Apostolic PalacePope Francis waves from the window of the Apostolic Palace  (Vatican Media)

(2020.8.23 Vatican News  Devin Watkins)

 教皇フランシスコは年間第21主日の日曜日、23日の正午の祈りでの説教で、イエスは私たちに、完璧への道はご自分を信頼し、慈しみ溢れる連帯の行為をするところにある、と教えておられる、と話された。

 この日の説教で、教皇はこの日のミサで読まれた福音(マタイ16章13~20節)、ペトロが、イエスを、キリストであり神の子であると信仰告白した箇所を取り上げられた。

 この箇所で、イエスは弟子たちに、あなた方は私を何者だというのか、とお尋ねになり、ご自分と彼らの関係をさらに進んだものとされたが、教皇は、「ご自分に付き従う人々、とくに12人の弟子たちとの旅の全ては、まさに、彼らの信仰を教え育てられることの一つなのです」と説かれた。

 

*告白に直面してのためらい

 イエスはまず、弟子たちに、人々はご自分のことを何者だと言っているのか、と尋ねられたが、「ご自分をどう思っているか、の答えについて、人々に対するイエスが求めているのは、それほど厳しいものではありません… たとえ、うわさ話ではなく信仰についての見方であることが既に求められているとしても、です」とされた教皇は、次の弟子たちへの問いかけ-「それでは、あなた方は私を何者だと言うのか」-でイエスは、核心に踏み込まれる、と指摘。

 教皇は「この瞬間、その場にいた弟子たち1人ひとりが、イエスに付き従う理由を告白する決断を迫られ、一瞬、沈黙したように思われます… それで、ある種のためらいが、即答にまさったのです」と語られた。

*確固とした答え

*信仰における慈善

 また、教皇は、イエスにおける慈善と信仰の関係について考察され、「カトリックの共同体は、様々な形の貧困と危機に直面している人々に対して、司牧的ケアを提供する必要があります。慈愛は常に完璧への王道です」とされたうえで、連帯の働きは「私たちを主イエスとのつながりから逸らすことはできません」と付け加えられ、「キリスト教の慈善は単なる社会奉仕活動ではありません。一方で、イエスご自身の目を通して他者を見、他方では、貧しい人と向き合っておられるイエスを見ているのです」と説かれた。

 

*聖母マリアは、私たちの完璧な導き手

 最後に、教皇は、私たちキリスト教徒の人生の旅を聖母マリアが助けてくださるように、次のように祈られた。

 「聖母マリア、信じて祝福された方、キリストを信仰する道の案内者、模範となり、キリストへの信頼が、私たちの慈善活動と私たちの存在すべてに完全な意味をもたらすことを私たちが知るように助けてくださいますように」

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年8月23日