♰「神は人となられ、私たちと親密になることを望まれている」-「主の公現の主日」正午の祈りで

Pope Francis during AngelusPope Francis during Angelus  (Vatican Media)

(2021.1.3 Vatican News staff writer)

   教皇フランシスコは3日、「主の公現の主日」の正午の祈りの説教で、神はご自身を肉体を持つ姿とされることで、ひ弱な私たちを愛され、全てを分かち合おうとされている、と説かれた。

 説教で教皇はまず、主の降誕に始まる第二の主日に、み言葉はイエスの生涯の出来事ではなく、お生まれになる前について語っている、それは特に、ヨハネ福音書の冒頭、「初めに言葉があった」(1章1節)に示されている、と指摘された。

 そして、「初めに」はこの福音書に出てくる最初の言葉だが、それは創世記の冒頭の「初めに神は天と地を創造された」(1章1節)と共通している、とされ、「福音書は、私たちがその誕生で赤子として考えていた方は、それ以前に、ものの始まり、宇宙の始まり、すべての始りの以前から、存在しておられた、と語っています」として、「万物は言葉によって成った…言葉の内になったものは、命であった」(ヨハネ福音書1章4節)を引用された。

 

*神は私たちと意思を通じ合われる

 教皇は「聖ヨハネは、神を『 Logos』、つまり『み言葉』と呼んでいます… そのみ言葉は、「伝達の手段、つまり独り言ではなく、『誰かと話す』方」です」とし、イエスが初めから言葉であった、ということは、神は初めから、私たちと意思を通じ合うこと、私たちに語ることを望まれていたことを意味するのです」と述べられた。

 そして、「父の御子は、神の子たちであることの素晴らしさについて、私たちに話したい、… 悪の闇を私たちから取り除きたい、と思っておられます。私たちの生活をご存じで、 いつも私たちを愛している、とおっしゃりたいのです」と語られ、「イエスは永遠の神の言葉、いつも私たちのことを思い、私たちと意思を通じ合いたいと願われています」と強調された。

 

*神は肉となって、私たちの間に住まわれた

 教皇は「今日読まれた福音書が私たちに告げているように、イエスは言葉を超え、まさに、『言葉は肉となって、私たちの間に宿られた』(ヨハネ福音書1章14節)のです」とされ、聖ヨハネが、弱く、はかない人間の姿を示すのに『肉』という言葉を使ったのは、神が私たちのもろさに身近に触れられるように、もろい存在となられたのだ、と語るためでした… ご自分の肉体の傷を父に示すことで、イエスは私たちのために取り成してくださいます」と説かれた。

 そして「主が肉となられた瞬間から、私たちの人生で主と無関係なものは何一つありません… 兄弟姉妹の皆さん。神は、弱い私たちをそのままの姿で愛しているとあなた方におっしゃる為に、あなた方が最も恥ずかしいと思う、そこで、肉となられたのです」と語られた。

 また教皇は、神がどのようにして私たちに背をお向けにならなかったかを説明され、「神は、私たちを、着たり脱いだりできるような衣服のように身にお着けになりませんでした… 私たちの肉体からご自身を切り離すことを二度となさらなかった… 福音書が述べているように、主は『私たちの間に宿られる』ために、来られました。『私たちを訪ねる』ために来られたのではなかったのです」と強調された。

*主に心を開いて

 さらに教皇は、「では、主は私たちに何を望んでおられるのでしょうか?それは、(注:ご自身との)素晴らしく親密な関係です!… 主は、私たちが自分たちの喜び、苦しみ、熱望と恐怖、希望と悲しみ、人々の置かれている状況を、分かち合うことを望んでおられるのです」と語られ、信徒たちに、まさにそうすることー主に心を開き、主にすべてを語るように、勧められた。

 そして、「飼い葉おけの前で静かにひざまずき、私たちの側においでになり肉となられた神の優しさを味わいましょう。そして恐れずに、私たちの間に、私たちの家に、私たちの家庭に、私たちの弱さに、主をお招きしましょう。主がおいでになり、人生が変わるでしょう」と訴えられた。

*教皇の新年のあいさつ

 正午の祈りに続けて、教皇は、始まった新たな年が全ての人にとって良いとなるように、と改めて祈られた。「神の助けを得て、共通善のために、最も弱い人々、もっとも不利な状況にある人を中心に置いて、共に働くことによってのみ、物事は改善するのだ、ということを、キリスト教徒である私たちは知っています… 2021年が私たちに何をもたらすか分かりませんが、私たち1人ひとり、そして私たち皆が一緒になってできることは、お互いを、被造物を、私たちの”共通の家”を大切にすることです」と強調された。

 また、ここ数日の新聞報道で、新型コロナウイルスの感染で苦しんでいる人たちを思いやることをせず、”良い休暇”を過ごすために、移動自粛の約束を無視する人々がいることを悲しく思うと嘆かれた。

 そして、「新たな年を、苦難の中で始める人たちー病気の人、職のない人、抑圧や搾取に苦しむ人ーに、特別のあいさつをおくられ、出産を真近かに控えた家族にも「誕生はいつも希望の約束です!」と思いを寄せられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年1月3日