♰「新型ウイルスから”私たち共通の家”を守るために連帯して立ち向かおう」第50回地球の日に

 教皇フランシスコは22日の一般謁見を、バチカン宮殿からビデオを通して行われ、謁見中の(教会の教えの解説)でこの日記念された「第50回地球の日(Earth Day)」をテーマに講話された。

 教皇の講話は以下のとおり。

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 親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 私たちは今日、第50回「地球の日」を迎えました。この日は、私たちの「共通の家」を愛し、この家と私たち家族の最も弱いメンバーを大切にするための取り組みを、新たにする機会です。

 現在起きている新型コロナウイルスの世界的大感染が私たちに教えているように、私たちが、この地球規模の危機に打ち勝てるのは、互いに連帯して立ち向かい、最も傷つきやすい人たちを抱き守ることによってだけです。回勅「ラウダート・シ」には、このような副題がついていますー「ともに暮らす家を大切に」。今日は、皆さんと一緒に、「私たちの地上の暮らし」に特徴づけられる、この責任について考えてみましょう。私たちは、「共通の家を大切にする」という意識のうちに成長せねばなりません。

 私たちは、地上の物質で作られ、その生活を地の実りによって支えられています。しかし、創世記が思い出させるように、私たちは単純に「地上のもの」ではありません。私たちは自分のうちに神が吹き入れられた「命の息」(創世記2章4-7節参照)を持っています。私たちはこうして、ただ一つの人類家族として共通の家に、他の被造物と一緒に生物の多様性の中に暮らしています。

 私たちは神の似姿として、御子イエスにおいて表された私たちへの神の愛に倣い、すべての被造物を大切に尊重し、最も弱い人々を始め、私たちの兄弟姉妹に愛と憐みを育むよう求められています。イエスは私たちと同じ状況を分かち合い、私たちを救うために人となられました。

 エゴイズムのために、私たちは地球を守り管理する自分たちの責任を忘れてしまいました。「私たちの共通の家がとても傷んでいることを知るには、現実を率直に見つめるだけで十分です」(ラウダート・シ61項)。

 私たちは、その家を汚し、荒廃させ、自分の生活そのものも危険にさらしました。それゆえ、意識を目覚めさせるために、様々な国際的・地域的な運動が育成されました。これらの取り組みを心から賞賛するとともに、「自分たちを支える環境を破壊するなら未来はない」という当たり前のことを私たちに教えるために、若者たちがこれからも表に出ていく必要を感じます。

 私たちは、自分たちの家であり庭である地球の、そして自分たちの兄弟の世話を忘れました。私たちは、地球に対して、隣人に対して、つまるところ、すべての人のために計らってくださり、私たちが皆と交わりと繁栄のうちに生きることを望まれる、優しい御父、創造主に対して罪を犯しました。

 では、地球はどう反応するでしょうか。スペイン語でこのような言い方がありますー「神は常に赦される。人はある時は赦し、ある時は赦さない。大地は決して赦さない」。私たちが地球を荒廃させたなら、その答えはひどいものでしょう。

 どうしたら、地球と人類の調和ある関係を取り戻すことができるのでしょうか。調和ある関係、私たちはしばしばそのビジョンを、聖霊が生み出す調和に求めます。共通の家の中でも、人間同士の関係、他者や最も貧しい人々との関係、自然との関係などがあります。どうしたらその調和を再び築けるでしょうか。私たちの共通の家を新しい見方で見つめることが必要です。この家は「搾取すべき資源の倉庫」ではありません。

 私たちキリスト教信者にとって、自然界は「創造の福音」です。それは、人間の命を形作り、人類を支えるため、様々な被造物とともに世界を造られた「神の創造の力」の表れです。聖書にある創造の物語は、このように締めくくられますー「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めてよかった」(創世記1章31節)。

 私たちが痛めつけた地球からの返答としての自然災害を見て、私はこう考えることがあります。「今、主に何を考えておられるかを聞いたなら、すごく良いことは言われないだろう」と。主の御業を破壊したのは、私たちなのです。

 今日、「地球の日」を記念するにあたり、私たちは、地球への聖なる尊重の念を再発見するように求められて。なぜなら、それは私たちの家であるだけでなく、神の家でもあるからです。これらは、私たちの中に自分たちが「聖なる地の上にいる」という意識を生み出してくれます。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、「神が私たちの中に備えられた審美的で観想的な意識を呼び覚ましましょう」(使徒的勧告「ケリーダ・アマゾニア」56項)。観想的預言は、私たちが特に先住民族から学ぶものです。それは、「私たちが地球を愛し、尊重しないなら、それを大切にすることはできない」ということです。彼らは「よく生きる」ための知恵を持っています。それは、うまくやり過ごす、という意味ではなく、「大地と調和をもって生きる」ということです。

 同時に、私たちは、具体的な行動で示す「エコロジー的な回心」を必要としています。ただ一つの、相互に依存し合う家族として、私たちの共通の家を脅威から守るための計画を共有する必要があります。「相互依存は、私たちに、ただ一つの世界を、共通の計画を考えるように促します」(ラウダート・シ164項)。

 私たちは、共通の家を守るために、国際共同体として協力し合うことの重要性を知っています。第15回生物多様性条約締約国会議(開催地:中国・昆明)と、第26回気候変動枠組み条約締約国会議(開催地:英国・グラスゴー)という、この二つの重要な国際会議に向けて準備するすべての関係者を励ましたいと思います。

 また、私は、国レベルまたは地域レベルの一致した参加の計画を励ましたいと思います。社会のあらゆる立場の人々が集まること、草の根から市民運動が生まれることも、よいことです。今日記念する「地球の日」も、このようにして生まれたものです。私たち一人ひとりに小さな貢献が可能です。「これらの努力で世界を変えることはできないだろうと、考えないでください。こうした行動は、気づくことができなくとも、常に想像以上に実を結び、社会に善を広げます。それは、時には目に見えない形で、常に広がる善をこの地球の中に生むからです」(ラウダート・シ212項)。

 刷新の時であるこの復活節に、私たちの共通の家「地球」の素晴らしい恵みを愛し、尊重するよう努めましょう。そして、人類家族のすべてのメンバーを大切にしましょう。兄弟姉妹としてともに天の御父に祈りましょう。「あなたの息を送り、地の面(おもて)を新たにしてください」(詩編104章30節参照)。

(編集「カトリック・あい」)

 

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2020年4月22日