♰「教会の福音宣教は、喜び、平和と癒しをもたらさねば」

Pope Francis during the Sunday AngelusPope Francis during the Sunday Angelus  (Vatican Media)、

 教皇フランシスコは7日の日曜正午の祈りの説教で、教会の宣教の特質について触れ、「いつも、喜び、平和と癒しをもたらすものでなければなりません」と強調された。

 説教でまず、この日朗読された福音の箇所(ルカ福音書10章1節)ーイエスが、12人の使徒のほかに、72人を任命し、福音を述べ伝えるために遣わされた時のことーを取り上げ、この72というのは恐らく、創世記にある72の国々のこと(10章1-32節)を指し、72人の派遣は「すべての国に福音を述べ伝えることへの展望を示したもの」と指摘された。そのうえで、イエスは彼らに「収穫は多いが、働き手は少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」と促された、と説明された。

 教皇はさらに、福音宣教は、祈りを基礎に置いたもの、巡歴するもの、超然とし、貧しくあることを求めるもの、神の王国に近づくことを示す平和と癒しをもたらすもの、と説かれた。

 また、福音宣教は「改宗」ではなく、「信仰の宣言」「証し」であり、率直さと福音的な自由を求めるもの、とされ、「これらを満たしていれば、教会の福音宣教は『喜び』に特徴づけられたものになるでしょう」と強調された。こうした「喜び」は、「宣教の成功をきっかけにしたつかの間の喜び」ではなく、「あなたがたの名が天に書き記される」(ルカ福音書10章20節)という「イエスの約束を根拠に持つ喜び」、御子に付き従るようにと神に呼ばれていることを知ることから生まれる「内にある、滅びることのない喜び」、「イエスの弟子であることの喜び」ーとされた。

 そして、次のように締めくくられた。「私たちはそれぞれ、洗礼を受けた日にいただいた名前を思い浮かべることができます。その名前は『天-父なる神の心の中』に書き記されています… そして、それは、弟子の一人一人を宣教師-主イエスとともに歩む者、自分自身とその持ち物に束縛されず、他の人々のために自分自身を捧げることをイエスから学ぶ者ーとなる賜物をいただく喜びです」。

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2019年7月8日