♰「感染対策で命を落とす司祭、医師、看護師は私たちの身近な聖人」聖木曜日のミサ説教で

  「過ぎ越しの聖なる三日間」に入った9日の「聖木曜日」、教皇フランシスコはバチカンの聖ペトロ大聖堂で、「主の晩餐の夕べのミサ」を司式された。このミサは、イエスが最後の晩さんで、聖体とミサ聖祭、司祭職を制定したことを記念するもの。

 教皇は同日午後6時(日本時間10日午前一時)から、聖ペトロ大聖堂の「司教座の祭壇」で、新型コロナウイルス感染による世界的危機から、教皇とミサに仕える人々、そしてごくわずかな会衆によって特別な形をとりつつ、厳かな雰囲気のうちにミサをなさった。

 ミサ中の説教で、教皇は、「御体と御血に与るように私たちを招かれるイエス、パンとぶどう酒の形態をもって、私たちと共におられ、私たちの中に留まり、働かれる主の神秘」を観想された。

 まず、最後の晩さんでイエスがペトロの足を洗った出来事とその時に交わされた言葉に注意を向けられ、「このエピソードは、『天国に入るための条件は、奉仕すること』であると示す一方で、神の僕、私たちの僕となられた主に、自らを洗っていただき、それによって成長させられ、また赦される必要をも示しています」と説かれた。

 さらに、「このミサで、主のために自らを捧げ、人々に奉仕するすべての司祭たちを心に留めずにはいられません」とされ、特に「この新型コロナウイルスの世界的大感染の危機の中で、病者への配慮のために命を落とした多くの司祭たち、また医師や看護師たち」を思い起こして、「これらの人々は、私たちの身近にいる聖人たちなのです」と強調された。

 また、「他の司祭たちの酷い行いのために、人々から心無い言葉で傷つけられている司祭や、何をすべきか悩み、壁に突き当たり苦悩する司祭たち」を励まされた。

 そして、すべての司祭に対する恵みを主に感謝され、「ペトロのように頑なにならずに、主に足を洗っていただき、赦されることで、赦すための大きな心を得るように」と司祭たちを促された。

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 聖木曜日・主の晩さんミサの特徴の一つとして、イエスが自ら弟子たちの足を洗い、愛と奉仕の模範を示したことを思い起こす「洗足式」がある。教皇はこれまでこの日に刑務所や移民センターなどでミサを捧げ、洗足式をなさっていたが、今年は、感染防止に配慮して中止された。また、このミサのもう一つの特徴である、聖別された聖体を安置所に運ぶための聖堂内の行列と安置後の聖体の前での礼拝(聖体安置式)も中止された。また、聖木曜日の午前に教皇がローマ教区の主任司祭らと捧げる「聖香油」のミサは、延期された。

(編集「カトリック・あい」)

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2020年4月10日