♰「感動し、驚こう!主との出会いが実り多いものになる」-「主の奉献」の主日正午の祈りで

 教皇フランシスは2日、「主の奉献」の祝日の正午の祈りの説教で、まず、この祝日の意義について、「貞操、貧困、服従の誓いを立て、主に付き従う、全ての人々の教会にある『偉大な宝』を私たちにい思い起こさせます」と始められた。

 そして、この日のミサで朗読された、誕生から40日後のイエスの奉献について述べたルカ福音書の箇所(2章22₋40節)について、「伝統的な儀式について述べているだけではない。主がご自身を捧げられ、人間の側に来られたその場所で、主と出会う経験をし、その瞬間に捕らえられたわずかな人々に、私たちの注意を向ける内容になっています」と説明された。

 さらに、この場面に登場するマリアとヨセフ、シメオンとアンナは「神に自らの命を捧げる用意のできている人々の模範」とされたうえで、「ルカは、彼らの振る舞いを『感動』と『驚き』で示しています」と指摘された。

 (マリアとヨセフはエルサレムに向かって旅をする。一方、シメオンは霊に動かされて神殿に来る。アンナは昼夜を問わず神に仕える…)

  4人の登場人物は、「キリスト教徒の人生には『活力と旅をする意欲』を持ち、常に聖霊を案内者とすることが求められている、ということを、私たちに教えている」とし、「感動することのできるキリスト教徒、全ての人にイエスの言葉をもたらすために旅をすることを止めないキリスト教徒を、世界は必要としています… 洗礼を受けた人は、誰もが、福音宣教の使命を受けているのです」と説かれた。

 そして、「マリアとヨセフは、イエスについて言われたことに驚きました(33節参照)。驚きは、二人がイエスを抱いて神殿の境内に入り、いけにえを捧げようとするのに出会ったシメオンの反応(27₋32節参照)にも見られます。そして、神の民に代わって、夜も昼も断食と祈りを持って神に仕えてきたアンナ(36₋38節参照)にもです… 彼らは、驚き包まれています。それは、自分が捕えられ、自分の目の前で起きている出来事に関わったからです」と語られた。

 最後に教皇は、「驚くことのできる能力が、宗教的経験を育て、主との出会いを実り多いものにします… それと反対に、驚かないことは無関心につながるだけでなく、信仰の旅と日常生活の間の距離を広げてしまうのです」と人々に注意を促された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

 

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2020年2月3日