(2020.7.26 Vatican News Christopher Wells)
教皇フランシスコは26日正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書の二つの「天の国」のたとえ話(13章44~46節)を取り上げ、イエスは、「健全で休みなく天の国を追い求める人」になるように、私たちを招かれておられる、と話された。
ここで語られているのは、「畑に隠された宝」と「高価な真珠」の二つだが、いずれの場合も、それを見つけた人は持っているものを全て売り払って手に入れる。
教皇は、この二つのたとえ話を通して、「イエスは、天の国の建設に私たちが関わるように求め、そのために欠かせないことの一つを示されました」とされ、それは、天の国に完全な関わりをもとうとする人は、そのために、喜んで自分のすべてを賭ける必要がある、ということ、と説かれた。
そして、貴重な宝物を手に入れるために、他の持ち物を全て捨てるという「確固とした、思い切った」決断が求められるということは、「天の国の建設には神の恵みだけでなく、人の積極的な意欲も必要とすることを、示しているのです」と語られた。
教皇は「私たちは、このたとえ話に登場する人たちのような振る舞いをするように求められています… そうすれば私たちも、健全に休みなく天の国を求める人になれるでしょう」とされ、さらに、このたとえ話で述べられているように「天の国を求めるには対価を払わねばなりません… 物を持つことへのこだわり、利益をあげ、権力を手に入れることへの強い欲望、そして自分だけのことを考えること、など”世俗的な保証”となるものを捨てる必要がある」と説かれた。
また、「平凡で退屈な生活を送る人をよく見かけますが、それは、本当の宝を求めようとしないからです… これに対して、天の国を追い求めることは、退屈な生活とは正反対、日々の暮らしを新たにし、視野を広げることにつながります」と述べ、天の国を追い求める人は、神、隣人、そして自分自身を愛するための「新しい道」へと導く「創造力と探求心」を持っている、と強調された。
最後に教皇は、「イエスー隠された宝であり価値の高い真珠-は、喜び、この世界ですべての喜びをかきたてずにはおきません… 人生の意味を発見する喜び、神聖な冒険に身を委ねる喜びです」と言われ、聖母マリアへの祈りを唱えられたー「私たちが、天の国の宝物を日々追い求めるのを助けてくださいますように。そうすることで、神がイエスを通して私たちにくださった愛が、私たちの言葉と行いで証しされますように」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)