♰「飽くなき貪欲さでモノの奴隷となるな」年間第18主日・正午の祈りで

(2022.7.31  Vatican News staff writer)

 ‎ 6日間のカナダ訪問からお帰りになった翌日の31日、教皇フランシスコは、聖ペトロ広場の信徒たちを前に、年間第18主日の正午の祈りをなさった。 説教の中で、この日のミサで読まれたルカ福音書の「愚かな金持ち」(12章13-21節)を取り上げ、イエスが警告されている「 ‎‎神の愛と神の永遠の豊かな賜物を求めるよりも、物質的な欲望と金に仕えるよう誘う、すべての人の心にある”貪欲”」について考察された。

‎  教皇はこの福音書の箇所で、群衆の中の一人がイエスに、「私に遺産を分けてくれるように、兄弟に言ってください」と頼んだことに、注意を向けられ、彼の頼みに対して、イエスは『自分の役割は目先の家族問題に介入することではない』と断り、『それよりも、物をいくらでも持ちたいという人間の貪欲さが、家族を分裂させ、人生を破壊する病となることに注意しなさい』と警告されたのです」と語られた。

‎*「貪欲さ」のもつ危険性‎

 そして「物を持つことへの飽くなき欲望は、しばしば自己増殖し、ますます自分のために欲しがり、逆説的に言えば、その人にとって『自由で穏やかに生きるために役立つはずだった物』の奴隷にしてしまいます」と続けられ、「物に対する‎貪欲さは、社会にとって危険な病でもある。今日、私たちの世界には、巨大な不平等、歴史上かつて見たことのない不正義が存在し、巨大な富を持つ人はほんのわずかで、大多数の人は富をほとんど持たない、という状態になっている」と指摘され、次のように語られた。‎

 ‎「戦争や紛争についても、考えてみましょう。その背後には、ほとんどの場合、資源と富への欲望があります。戦争の背後には、なんと多くの権益があるのでしょうか! そして、その一つが、疑いもなく武器貿易です」‎。‎*自分自身の貪欲さと向き合う‎

 ‎教皇はさらに、「イエスは、貪欲さの誘惑は、『権力を持つ一部の人々や経済システムだけでなく、すべての人の心にある」ということを、私たちに示しておられます」とされ、「イエスは私たちに、自分の人生を振り返り、物や富に執着しすぎているのはないか、『もっと欲しい』と思い続け、あるいは、『まだ足りない』と不平をもらしていないか、点検することを提案されます。私たちは、人との関係、他の人のために、自分の富や時間を犠牲にしたり、貪欲さを改めるために、世間の常識を無視したりするでしょうか」と問いかけられた。‎

*「貪欲」が、カルト、偶像崇拝の形をとる可能性

 また、貪欲が、カルト、偶像崇拝の形をとる可能性を警告され、「イエスは、『あなたは、神と富の二人の主人に仕えることはできない』と強く警告されます。『富』は私たちに仕えるものであり、私たちが富に仕えるのではない。それは神への罪です」と説かれた。‎

*‎神に従う”金持ち‎”となれ‎

 教皇は「人が『裕福になりたい』と願うのは理解できるし、もっともなことですが、私たちは、そうではなく、『”神に従う金持ち”になりたい』と願うべきです。そして、これは、『慈悲と憐れみに富むこと』を意味します。この富は、誰かを貧しくしたり、争いや分裂を生んだりはしません」と強調。「神の豊かさは、与える方法、分配する方法、分かち合う方法を知っています」と付け加えられた。‎

*人を助け、良い『相続財産』を残すこと

 説教の最後に教皇は、「私たちはよく生きるために、『物質的な財の蓄積』以上のものを必要とし、神や他の人々との良好な関係を必要とします。私たちは皆、貪欲によってではなく、『忘れることのない善行、人々が成長し成熟するのを助けること』を通して、良い『相続財産』を残すことを通して、私たちの人生を豊かにするように努めましょう」と信徒たちを促され、「命の真の財とは何か、永遠に続くものが何であるかを、私たちが理解できるように助けてくださいますように」と聖母マリアに願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)‎

 

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2022年7月31日