♰「善き市民は、社会に貢献し、福音の証人であらねばならない」29日主日正午の祈りで

    教皇フランシスコは18日、年間第29主日の正午の祈りの説教で、キリスト教徒には社会で生きた存在となり、社会を福音で元気づける義務と責任があり、「神と人生の意味を証しし、今日の世界における人間の尊厳の促進と擁護に惜しみなく献身するように」と呼びかけられた。


当時、パレスチナでは、ローマ帝国による支配は宗教的な理由からも我慢できない風潮があり、住民たちには、「硬貨に描かれた皇帝の像は、イスラエルの神への侮辱を象徴するもの」と受け取られていた。そうした背景の中で、彼らの問い掛けに、
「はい」、「いいえ」のいずれの答えしても、落とし穴に落とせる、と敵対者たちは考えていた。だが、イエスは彼らの悪意に気付いておられ、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われた。

 教皇は、イエスはこのように答えることによって、「この議論に勝たれました… 皇帝に敬意を払わねばならないことは認めましたが、同時に、それぞれの人が自分の中に、(注:敬意を払うべき)別の対象ー神の姿を持っており、『自分が生きているのは神の、神だけの、おかげだ』ということを思い起こさせました」とされ、「このイエスの言葉には、政治的領域と宗教的領域を区別するための基準だけではなく、現在の私たちを含めて、すべての時代のすべての信徒たちの使命の明確な指針を示しておられるのです」と強調。

 そして、「税金を支払い、法律を守ることはすべての人の義務ですが、同時に、人間の命と歴史にとって神が最も重要な存在だということを確認し、神に属するすべてのものに対する神の権利に敬意を払う必要があります」と述べられた。

 さらに教皇は、「教会とキリスト教徒の使命は、神について語り、現在の男性、女性に対して神を証しすること。洗礼によって、私たちは皆、社会の中で生きている存在であり、福音と聖霊の活力で、人生を奮い立たせる」ように求められている、とされ、謙遜と勇気をもって、この求めに応え、「正義と友愛が支配する愛の文明の建設に貢献する」よう促された。

 最後に教皇は、次のように聖母マリアに祈られたー「私たち皆が、あらゆる偽善から逃れ、正直で、建設的な市民になるよう、助けてください。そして、神が中心であり人生の意味であることを証しする使命を課せられたキリストの弟子である私たちを、支えてくださいますように」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2020年10月19日