♰「信徒、教会は、世界の争いと罪に抗し、『潮』と『光』であり続けよう」

Pope Francis leads the faithful in the Angelus prayerPope Francis leads the faithful in the Angelus prayer  (Vatican Media)

  教皇フランシスコは9日正午の祈りの説教で、この日のミサで朗読されたマタイ福音書の箇所(5章13₋16節)を取り上げ、信徒たちに「社会に潜む暗闇を拭い去る」よう促されるとともに、「教会は福音宣教と奉仕の使命を放棄できない」と述べられた。

 教皇は説教でまず、この福音書の箇所で、弟子たちに「塩」と「光」であることを求められたことに注意を向けられ、「これは、主の弟子たちがこの世でどのように使命を果たす基準を示しています」とされた。

*塩であること:罪と道徳的な劣化への抵抗

 「塩」について、「食べ物に風味をつけ、腐敗から守るもの」であり、と「イエスが弟子たちに求めたのは、危険や人々の命を蝕むものから社会を守ること。そのことを、私たちキリスト教徒は、罪と道徳的な劣化に抵抗することによって、そして誠実さと連帯を証しすることによって、実践するのです」とされ、「出世第一主義や権力、富を含むいくつもの誘惑に陥らないようにいように警戒すべきです」と注意された。

 そして、私たちが過ちを犯した時でさえも、”塩”であることは、「勇気と忍耐をもって、人々との対話と出会いを求めて、日々、新たに出直すこと」を意味し、「認められたり、褒められたりするのを求めるのでなく、謙遜の心で兄弟姉妹に奉仕するというイエスの教えに忠実であること」を意味する、と説かれ、「このような態度が大いに必要とされているのです」と念を押された。

 

*光であること:他の人をキリストに導く行為

 また「光」は、「暗闇を払いのけ、見ることができるようにするもの」であり、「イエスは、罪の暗闇を払いのけられましたが、いくつかの影が、まだ、この世と一人ひとりの心の中に残っています… キリストの光を人々の間に輝かせ、福音を宣言することで、そのような影を取り除くことが、キリスト教徒の仕事なのです」と強調。

 さらに、「私たちは、言葉を通して、主の光を発することができますが、それよりももっと、良い行為を通して、人々を、神へ、神の善と慈悲を体験できるように導くのです… 、狭い空間の外で信仰を生きる方法を知っている時、イエスの弟子(注:である私たち)は『光』であり、偏見や中傷を取り除き、偽善と嘘によって汚されたところに、真実の光をもたらす役割を果たすのです」と説かれた。

 

*教会:暴力、不正、抑圧に打ち勝つこと、福音宣教の使命を放棄できないことができ

 最後に教皇は「イエスは、争いと罪の逆風に抗して、この世で信仰を生きるように、私たちを促しています」とされ、教会の使命について「暴力、不正、抑圧に打ち勝たねばならず、福音宣教と奉仕の役目を放棄することはできません」と言明。さらに、教会は「最も小さい人、貧しい人に、広い心と優しさもって接します。社会の底辺にいる人、社会からのけ者にされた人の叫びに耳を傾けます。歴史を通してイエス・キリストの救いの現存を広めるよう、呼びかけられる巡礼者共同体であることを知っているからです」と訴えられた。

 そして、聖母マリアに、「私たちが、この世の塩と光になり、生活と言葉を通して、すべての人に神の愛の良い知らせをもたらすことができますように」と祈られた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2020年2月10日