♰「主は私たちの弱さと限界をお分かりになり、助けてくださる」第18主日正午の祈りで

(2020.8.2 Vatican News Devin Watkins)

*ご聖体と日々のパンは一つに結び付いている

 さらに、男性だけで5000人もの人の食欲を満たしたパンは、はっきりと聖体の意味を含み、ここで重要な点は、聖体としてのパン-永遠の命のための食物-と、私たちの日々の糧としてのパンー私たちがこの世で生きるための食物-が結びついていることにある、とされたうえで、「イエスは、救いのパンとしてご自身を御父に捧げる前に、ご自分に付き従う人、ご自分と一緒にいようとして(注:食料の)備えを忘れた人のために、食物を保証されます… このことは、霊的なものと物質的なものが相反しないことを示している」と語られた。

*本当の「同情」は「相手の痛みをわが身に負う」こと

 そして、この場面で示されたイエスの人々への深い同情と優しさは、「人々が必要としていることを大切にする愛の具体的な現れ」であり、「御父は、イエスの深い同情の振る舞いを模範として示すことで、ご聖体の食事のテーブルのそばに寄るようにと、全ての人に強く促しておられるのです」と強調された。

 また「強い同情の心は、単なる気持ちではありません。本当の『同情』は『相手と共に苦しむこと』『相手の痛みをわが身に負うこと』です」と述べられ、「戦争、飢餓、または新型コロナウイルスの大感染の記事を目にする時、『本当の同情の心を持って読んでいるか』と自問するように勧めたー 「私は、そうした苦難に巻き込まれた人たちに同情の心を抱きますか?」。「深い同情の心は、御父の摂理的な愛を信頼すること、そして勇気をもって分かち合うことを意味するのです」と説かれた。

 最後に教皇は、私たちのキリスト教徒としての旅を続けるのを助けてくださるように、聖母マリアに祈られたー「それは友愛の旅ーこの世の貧しさと苦しみに出会う時、特に今の困難な時期に必要なもの、私たちにこの世を超えさせるもの。なぜなら、それは神に始まり、神に帰る旅だからです」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2020年8月3日