♰「トマスのように主から慈しみを受け、周囲の人々にそれを示そう」ー『神の慈しみの主日』に

 

(2020.4.19 VaticanNews Sr Bernadette M. Reis, fsp)

 教皇フランシスコは19日、復活節第二主日(主の慈しみの主日)のミサを聖ペトロ大聖堂に近いSanto Spirito in Sassia 教会で捧げられ、説教で、「使徒トマスがしたようにイエスの慈しみを受けるように、そして私たちの周囲の人たちに、その慈しみを示すように」と勧められた。

 教皇は説教でまず、「先週の日曜日、私たちは主の復活を祝いました。今日、私たちは主の弟子たちの復活に立ち会います」とされた。

 イエスが死から蘇られて一週間後、弟子たちはまだ「恐ろしくて、扉にカギをかけて家にこもっていた。教皇は「そのような彼らの『恐れ』に対するイエスの応えは、『あなた方に平和があるように!』でした」と語られた。

 さらに、「私たちをいつも立ち直らせてくださる『その手』は慈しみに満ちています… 神は、私たちが倒れ続けるのをご存じですが、いつも起こしてくださいます。それは、私たちが自分の失敗ではなく、ご自身に目を向けることを望まれているからです… 主は、ご自分の慈しみを私たちが経験するのを助けられるように、私たちが失敗をご自分に捧げるのをお待ちになっているのです」と強調した。

 イエスの弟子たちは皆、イエスを見捨てた。そして、罪の意識を感じた。そうした弟子たちに、イエスは「長い説教をする」のではなく、ご自分の傷をお見せになった。そして、その場に居合わせなかったトマスが、後でイエスの傷に触れ、他の弟子たちよりも進んだ経験をしたー主の復活だけでなく、その限りない愛を信じた。

 教皇は「トマスの『傷ついた人間』がイエスの傷に入ったとき、彼は死から蘇ります… 神が『私の神』になる時…私たちは自分自身を受け入れ、命をそのまま、愛し始めます」と説かれた。

 さらに、「トマスは、美しくて壊れやすいが価値のある水晶のように、私たちがその弱さにおいて、主にとってどれほど大切であるのかを理解する助けになります… 私たちがそのような水晶であるとすれば、イエスの慈しみの光は私たちの上に、そして私たちを通して、世界の上に輝きます」とされ、「イエスがトマスをお待ちになったように、その光は私たちが他の人たちを待つのを助け、新型コロナウイルスの危機から全世界が立ち直る時に、誰一人も置き去りにされません」と締めくくられた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年4月19日