♰「イエスは私たちの心を開くために、神の愛の“火”をもたらされた」

(2019.8.18 VaticanNews Devin Watkins

 教皇フランシスコは18日の日曜正午の祈りに先立つ説教で「イエスは、無関心を克服し、他の人々の求めに私たちの心を開くために、神の愛の火を地上にもたらされたのです」と説かれた。

 説教で教皇は、この日のミサで読まれたルカ福音書(12章49~53節)を採り上げられた。この箇所で、イエスは弟子たちに、福音のために決定的な選択をする時が来た、と語られる。

 「イエスの“火”という表現が示すように、その選択は先延ばしできないもの」とされる教皇は、「『私が来たのは、地上に火を投じるためである。その日がすでに燃えていたらと、どんなに願っていることか』とイエスは弟子たちに話されたが、「これは、怠慢と無神経、無関心、そして神の愛の火を歓迎する心閉ざす態度を全て捨て去れるように、弟子たちを助けるのを意図した言葉なのです」と説明された。

 そして、その火は命を燃え立たせ、人を救う。神の限りない愛を全世界に行き渡らせることで、「私たちは、イエスの真の弟子と認められます」と強調された。

 さらに教皇は、福音を証しするキリスト教徒は「個々の人、社会階層、人々、そして国の間の分裂を克服する『有益な火』に例えられることができ…あらゆる形の特別待遇を焼き捨て、全ての人に慈しみを示し続けます」と語られ、「また一つの嗜好を持ちます。それは、最も貧しい人々、社会から疎外された人々のために、ということです」と付け加えられた。

 そして説教の締めくくりに、「神の愛の火は、私たちの全存在を包み、隣人に喜んで奉仕することを求めるのです」と念を押された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2019年8月23日