♰「『危機』は『機会』も意味する。心を開き、共に乗り越えよう」-”出会いの学校”の集いに

(2020.6.5 バチカン放送)

  教皇フランシスコは5日、「世界環境の日」の機会に開かれた「スコラス・オクレンテス(出会いの学校)」のオンライン・ミーティングに、ビデオを通してメッセージをおくられた。

 「スコラス・オクレンテス」は、教皇がブエノスアイレス大司教時代から進めてきた教育運動。青少年に様々な教育の機会を提供し、出会いと対話、異なる存在への尊重を育むことを目的とし、現在は、教皇庁立基金としてローマを本に、アルゼンチンなど南米、スペイン、ルーマニアなど欧州やモザンビークに拠点を置き、世界190ヵ国の教育機関とネットワークをもつ。新型コロナウイルスの世界的大感染の現在は、世界の教育者や若者たちによるビデオを通したオンライン交流に力を入れている。

 教皇は5日のメッセージで、「スコラス・オクレンテス」が、今や友人・兄弟姉妹たちの「共同体」と呼べるまでに成長したことを喜ばれ、二人の教師が直感と大胆な発想で始めた活動が、次第に成果を上げて行った創始時を思い起こし、「危機が社会に暴力をはびこらせた時代にあって、教育は意味や美しさを生みながら、若者たちを再び一致させました」と振りられた。

 そして、ご自身にとって忘れがたい3つのイメージとして、フェデリコ・フェッリーニ監督の映画「道」に登場するサーカス芸人「イル・マット」、カラバッジョの絵画「マタイの召し出し」、ドストエフスキーの「白痴」を挙げ、「意味」「召命」「美しさ」とそれぞれ結びつくこの3つのイメージは、ここ3年間の「スコラス・オクレンテス」の出会いと考察のテーマでもあった、と紹介された。

 さらに、「危機」とは、本来「壊れ」「切れ目」「開放」「危険」などを意味するほか、「機会」も意味する、とし、「植物が育つためには根を広げる必要があり、やがては鉢を壊すまでになる。それと同じように、人生は、生活そのものよりも大きく、亀裂が入る。人生には、成長と破壊が伴います。『危機のない、眠り込んだような人類』は、むしろ健全ではない、といえます」と説かれた。

 一方で、危機は「私たちに、自分の心を開くよう促すもの… 個人の殻に閉じこもらず、互いに絆を育て、共に危機を乗り切る必要があります」と強調された。

 危機の中で生まれた「スコラス・オクレンテス」は、現代の文化に対抗して拳を振り上げることをせず、あきらめて両手を下ろすこともせず、若者の心に耳を傾け、社会の隙間から顔だけでなく、体全体を出して、外の世界を眺め、別の解答を探し求めようとしました」と振り返られ、「耳を傾けなければ、教育ではない。文化を創らなければ、教育ではない。記念すること、祝うことを教えなければ、教育ではありません」と言明。耳を傾け、創造し、人生を賛美しつつ、「頭と心と手を調和させる」スコラスの教育活動の特徴を強調された。

 また、「スコラス・オクレンテス」の様々な出会いの中で、教皇は、日本とコロンビアの教師や生徒たちが共に踊るのを見、ハイチとドバイの生徒が共に考え、モザンビークとポルトガルの子どもたちが一緒に絵を描くのを見た、と語られ、出会いの文化を創造するその活動を喜ばれた。

 そのうえで、教皇は「スコラス・オクレンテス」に、「教育する共同体、成長する共同体として、様々な物事の意味を追求することを若者たちに教えて欲しい」と希望され、「『根』や『歴史』のないところに成長はない」として、「子どもや若者たちの夢を、大人やお年寄りの夢と出会わせる必要」を指摘された。

 「教育とは人生を教えること。そこでは、すべての言語や宗教を超え、誰ひとり、排除されてはなりません… 無償性、意味、美しさーこれらを追求することが、今の社会では無用、と思われたとしても、全人類と、その未来はそこにかかっているのです」と訴え、「微笑みと、リスクを負う勇気をもって、種を蒔き、刈り取りながら、皆で手を取り合うことで、あらゆる危機を乗り越えて行って欲しい」と参加者たちを激励された。

(編集「カトリック・あい」)

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2020年6月6日