☩ 「戦争は、すべてを破壊に導く、神の創造の業への反逆」(VN)

Pope Francis appears on the television show "Che tempo che fa," broadcast on Italian network Rai 3.Pope Francis appears on the television show “Che tempo che fa,” broadcast on Italian network Rai 3. 

(2022.2.6 Vatican News Salvatore Cernuzio)

「戦争は自己矛盾です」ー教皇フランシスコは5日夜の、イタリアのテレビ司会者ファビオ・ファジオの番組Che tempo chefaにご自宅の聖マリアの館から参加され、戦争、移民・難民、被造物である地球の環境保護、親と子の関係、悪と苦しみ、祈り、教会の未来、友人の必要性など、さまざまな問題について質問に答えられた。

*移民・難民の悲劇は”無関心の文化”のしるし

    特に欧州では中東やアフリカから紛争や飢餓を逃れてくる移民・難民が大きな問題であり続けており、最近でも、ギリシャとトルコの国境で12人の難民が凍え死ぬという悲劇があった。

   教皇は、「この問題は”無関心の文化”のしるしであり、優先順位の問題でもありますー戦争が第一、そこに暮らしている人々はその次になっている」とされた。

   そして、イエメンを例に挙げ、「イエメンの人々はどれくらい戦争に苦しんでいるでしょうか。そして私たちは、イエメンの子供たちについてどれくらい話題にしてきたでしょうか。何年もの間、問題の解決策はありませんでした。子供、移民・難民、貧しい人々、飢えている人々を助けようとする人々はいますが、優先されているのが戦争、武器輸出・売買です。武器を買わなければ、その分のお金で、1年間、無料で全世界のこうした人々に食糧と教育を与えることができる、ということを考えてください」と訴えられた。

   さらに、教皇は、海岸で亡くなっていたシリア人の少年、アラン・クルディと、「私たちがその名を知らない、寒さの中で毎日、命を落としている数多くの子供たち」を思い浮かべ、「それでも、戦争は依然として高い優先順位に置かれています。私たちは目の当たりにしているのは、今日、最も重要なのは戦争ーイデオロギーの戦い、権力の戦い、商いの戦い、そして極めて多くの兵器工場ーであり、そのために経済が動員されている、という現実です」と指摘された。

*戦争は「破壊のメカニズム」を働かせること

   関連して、ロシア軍による侵攻の危機が強まっているウクライナ問題について聞かれた教皇は、この恐ろしい現実の起源を、旧約聖書『創世記』第4章に登場するカインとアベルの物語、同じく11章に描かれたバベルの塔の物語に辿られた。

   そして、「カインとアベルの兄弟の戦いは、神が男女を創造した直後に起きました。バベルの塔(神の意向に逆らい、実現不可能な天にも届く塔を作ろうとして、破壊されてしまった)もそうですが、そこには、神の創造の業への”反逆”があるように思います。それが戦争が常に『破壊』である理由です。土地を耕し、子供を育て、家族を養い、社会を発展させるー戦争をすることはそれを破壊することです。破壊のメカニズムです」と強く批判された。

*被造物へのいたわり

 教皇は、このことは「地球の破壊」にも当てはまる、とされ、被造物をいたわることの必要性を改めて強調された。そして、アマゾンにおける自然破壊、森林破壊、酸素の減少、気候変動の問題を列挙され、「生物多様性の死」のリスク、「母なる地球を殺す」リスクを指摘された。リスクに対応する具体的な例として、イタリア海のアドリア海沿岸のサンベネデット・デル・トロントの漁師たちの活動を紹介し、「彼らは、海からすべての廃棄物を取り除くために行動を起こし、1年間で約300万トンのプラスチックを回収しました。私たちは母なる地球の世話をしなければならないのです」と訴えられた。

 

*人に対するいたわり

 また、こうしたいたわりの心、振る舞いは、それは社会的観点からも欠けているようだ、とし、「私たちが日々経験しているのは、『いじめ』に見られるような、『社会的攻撃性』の問題です。インターネットなどで人々が密接に結びついているにもかかわらず、信じられないほどの孤独感にさいなまれる若者がいます」と指摘。

 「そうした若者の親たちとも話したことがありますが、親と子の関係は一言で言えば『親密さ』です。若い夫婦と話す時、私はいつも『あなたたちは、自分の子供たちと遊んでいますか』と聞きます。ある夫婦は確かに、子供たちと一緒に生活していますが、父親は『私が仕事に出る時、子供たちはまだ眠っており、夜、帰宅した時には、もう眠っています』と言うことでした」と語られ、「それは子供たちが、親から離される残酷な社会です」とされた。

 さらに、親たちが子供たちと遊び、子供たちや、彼らの話すこと、憶測におびえたりしないこと、思春期の年長の子供たちの側にして、失敗した時に、父親、母親として声をかけることの重要性も指摘された。

*世界と教会の未来

 世界と教会の未来について聞かれた教皇は、まず世界の未来について、「経済と選択の中心に人間がいる。それが、回勅『Fratelli tutti(兄弟の皆さん)』で予見した世界の未来。その実現が、私と同じ理想を持つ世界の多くの指導者たちと共有している優先事項です」とされたうえで、「だが、理想とされる諸事項は、政治的、社会的な調整で、国際政治の場でも激しく衝突し、善意が働くのを止めてしまいます。社会や人々、そして、責任ある役割の人々に圧力をかける“影”です。ですから、(注:好ましい未来の実現に向けて前に進むために数多くの交渉が必要なのです」と強調された。

 教会の将来について、教皇フランシスコは、1975年に教皇パウロ6世が使徒的勧告『Evangelii Nuntiandi(福音宣教)』を出され、この世界を福音の精神によって「福音化する」ことを訴えられたことを思い起こされ、「この使徒的勧告は2,013年に私が出した使徒的勧告『福音の喜び』(Evangelii Gaudium)の着想の源ー”旅する教会”です」とされた。

 そのうえで、「現代の教会が抱える最大の悪、最も大きなものは、”霊的な世俗化”です。これが、教会の逸脱である聖職者主義をもたらしています」とし、「あらゆる種類の硬直化の下には常に腐敗があります」として、硬直化した聖職者主義を強く批判。今の教会にある醜さの中に、福音に取って代わる「硬直的な、イデオロギー的に硬直した姿勢がある」とも指摘された。

 また司牧上の問題では、「ペラギウス主義とグノーシス主義の古い考え方、2つだけについて述べたい」とされた。そして、「ペラギウス主義は、自分の力で前に進めると信じる考もの」だが、「実際は、教会は、神の力、神の憐れみ、聖霊の力で前進できるのです」と語られ、「グノーシス主義は一種の神秘主義、神のいない、空の霊性」と表現され、「キリストの肉がなければ、理解はなく、救いもありません。私たちは、もう一度、『みことばが肉となった』という信仰の原点に戻らなねばなりません。教会の未来は、この十字架の驚くべき真実、みことばが肉となったことに、あるのです」と説かれた。

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

*以上の他の教皇の発言以下の通り

(2022.2.7 バチカン放送)

*見て見ないふり、メディアの責任

 学校や大学に行き、仕事に就ける社会がある一方で、子どもたちが亡くなり、移民が溺死し、不正が横行する社会がある、と世界の分裂を見つめた教皇は、こうした現実を前にして最も良くない誘惑は「目を逸らすこと、見ないふりをすること」と指摘。メディアはそれを伝えはするが、距離を置く態度をとり、悲劇を嘆いても、また何事もなかったかのように戻ってしまう、と述べられた。

*コロナ禍での医療関係者の努力を讃える

 教皇は、苦しむ人々を見るだけでは足りない、その苦しみに「耳を傾け、触れる」ことが必要と強調。こうした中、新型コロナ大感染の中で人々の苦しみに触れ、病者のかたわらに残ることを選んだ医療関係者たちを称えられた。

 教皇はアマゾンの森林破壊や各地の環境危機をめぐり、「母なる大地」を守る必要を改めて繰り返し、自然をいたわることを教育で学ばなければならない、と話した。

 

*「いじめ」は、家庭や地域社会での陰口から

 また、いじめの現象に見られるように、社会が攻撃的になっていることに対し、教皇は、その破壊的攻撃性はごく小さなことから始まっている、と述べ、その原因の一つとして、家庭や生活圏における言葉や陰口の影響を挙げられた。そして、互いを破壊し合わないためには、陰口を拒否し、言いたいことは言葉を呑むか、直接、「その人の顔を見つめて話す勇気」が必要、と述べた。

*自由、罪と赦し

 自由と罪の赦しというテーマをめぐり、教皇は、「自由は神の賜物であるが、それによって人間は悪を行う可能性もある」「神は私たちを自由な状態に置かれ、私たちは選択の責任を負っているが、時には誤った選択をすることもある」と説明。では神の慈しみと人々の赦しに値しない人間はいるか、という問いに、教皇は「赦される可能性を持つことは、人間の一つの権利です」と説かれた。

 もし赦しを乞うならば、私たちは皆、赦される権利を持っており、それは神の本質から生まれる権利である、と教皇は述べ、社会に対し償うべき負い目のある者は、その責任を果たした上で、赦しを願うことができる、と話された。

 教皇はこの対談で祈りの大切さを説くと共に、ご自分のためにも人々の祈りを願われた。

 

 

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2022年2月7日