☩教皇、マルタでの主日ミサ「イエスによって、これまでと違う新たな人生が常に可能になる」

(2022.4.3 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 マルタ訪問2日目の3日、教皇フランシスコは、フロリアーナで四旬節第五主日のミサを奉げられ、ミサ中の説教で、信徒たちに「イエス・キリストによって、私たちは、これまでと違う新しい人生がいつも可能になります」と語られた。

 教皇はミサと正午の祈りの後、3日午後に難民たちとの集いに出席されて、2日間のマルタ訪問を終えられ、夕方に空路、ローマへの帰途に就かれる。

 ミサ中の説教で、教皇は、この日の福音の箇所ーヨハネ8勝2節に始まる「姦淫の女とイエス」ーを取り上げ、まず、姦淫の現場で捕らえられた女性を連れて来た律法学者たちやファリサイ派の人々に注目され、彼らが「すでにすべてを知っているから、イエスの教えを必要としない」と考えていたことを強調。

 「女性を告発した人々は、自分たちの過ちを無視する一方で、他人の過ちを非常に気にしている。そしてこの場面では、公正で信心深く振舞いながら、『経験で信心深いという名声に乗じて』イエスを非難し、試練に遭わせたいと考えます」とされた。

 

*私たちの生き方でイエスを否定するリスク

 そして、私たちに起きる善と他人を指さす衝動を警告された教皇は、「私たちが誠実に主に心を開けば、私たちの中で働いてくださいます」と述べたうえで、律法学者たちが他の人をどのように扱うかに注意を向け、「私たちが主の真の弟子であるかどうかを理解するために、自分自身をどのように見ているかについて考える必要があります。姦淫したとされる女性を告発した人々は、『自分たちには、学ぶことは何もない』と確信していました。彼らは、外見は申し分なかったが、誠実な心を欠いていたのです」と指摘された。

 

*何を変えるべきかをイエスに尋ねよう

 さらに、教皇は「イエスにとって真に重要なのは、開かれた心と誠実さです。私たちの外見に満足されず、内面の誠実さを求めておられます。ですから祈りの中で『私に何を望んでおられますか?私の人生で、何を変えることを望まれますか?他の人たちをどのように尊重することを望まれますか』と主に問いかけ、心を開けば、主が私たちの中で働いてくださいます」と説かれた。

 続いて教皇は、「姦淫の現場を目撃され、絶望的な状況に立たされた女性に、イエスは新しい予期せぬ地平線を開きました。彼女を非難せず、希望を取り戻させたのです」とされ、「神は私たちに、いつも再度のチャンスの余地を残してくださいます。このため、私たちは、常に救いにつながる道を見つけることができるのです」と強調。そして 「神はいつも私たちを赦そうとしておられるのに、私たちは赦しを願うことにうんざりしている」と付け加えられた。

*それでも神は私たちを信じておられる

 「赦しは、女性の人生を変えました」とされた教皇は、「同じように赦された私たちに、主は、たゆまぬ和解の証人になることを望んでおられます」と述べ、「神には、『取り返しのつかない』という言葉が存在しない。その証人となること。常に赦し、私たちを信じ続けることを決しておやめにならず、常に新規まき直しの機会を与えてくださる神。だが、神の前に私たちの罪や失敗を置かない限り、主の慈悲の下に、新しい、これまでと異なる人生を始める機会は得られません」と忠告された。

 さらに教皇は、「悲惨な状況にあった女性。憐れに思われたイエスによって赦され、癒された女性の姿は、教会を構成する私たちが”福音の学び舎”に立ち戻り、私たちに感動を与え続ける希望の神から学ぶよう促します」と述べ、「私たちがキリストに倣うなら、他者の罪を非難することに懸命になるのではなく、新しい人生が可能であることを愛を持って示すことに集中する必要があります。主に、私たちを驚かせましょう。主がもたされる”よき知らせ”を進んで受け入れるようにしましょう」と信徒たちに呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年4月3日