☩ロシアの軍事侵攻開始から9か月「あなたがたの痛みは、私の痛み」と教皇がウクライナの人々に書簡

Pope Francis in prayerPope Francis in prayer 

(2022.11.25 VaticanNews   Salvatore Cernuzio)

 ロシアによるウクライナ軍事侵攻の開始から 9 か月がたち、教皇フランシスコが、ウクライナの人たちに、悲しみの共有と、「殉教」した気高い犠牲者への哀悼を改めて示す書簡を送られた。

 書簡は、「破壊と痛み、飢え、渇き、寒さ」によって傷ついている人々を目の当たりにする司牧者としての痛みの表明と共に、「子供たちと悲しみをともにする父親」としての愛を込めて書かれている。

 ロシアの軍事侵攻という「戦争の愚かな狂気」が解き放たれてからちょうど 9 か月、教皇は、ウクライナという「殉教した」国のために 100 を超える声を上げておられるー女性、暴力の犠牲者、または戦争の未亡人たちへ、前線に派遣された若者たちへ、取り残された老人たちへ、難民あるいは避難民となっている人たちへ。ボランティアと司祭、国の当局者へ…。

 教皇は、苦難と試練の時代に勇気を失わないように、との心からの願いを彼ら全員に伝え、彼らが「強い人たち」であり、「苦しみ、祈り、叫び、もがき、抵抗し、希望する、高貴で殉教した人たち」であることを称賛されている。

(バチカン放送)

書簡で、教皇は、この9カ月の間、「吹き荒れる戦争の狂気の中、町は爆撃で破壊され、ミサイルの雨が死と破壊、苦しみ、飢え渇き、寒さをもたらし、多くの人は家や愛する人たちを置いて逃げざるを得ず、そこには毎日血と涙の川が流れている」と悲しみを表され、ご自身の涙をウクライナの人々の涙と重ねるとともに、「祈りの中で皆さんを心に浮かべ、近くにいなかった日は一日たりともありません。皆さんの痛みは、私の痛みです」と述べた。

そして、「イエスの十字架の中に、攻撃の恐怖に苦しむ人々を見、拷問の痕を残した遺体や共同墓地などの多くの残忍な現実の上にイエスを苦しめた十字架がよみがえります」とされたうえで、「いったい、どうしたら人間が、他の人間をこのように扱うことができるのでしょう」と問いかけ、「殺された、あるいは怪我を負わされた子どもたち、孤児たち。そうした子どもたち一人ひとりの中に、全人類の敗北があります」と指摘。

同時に、「未来への夢の代わりに武器を取った若者たち、夫を失いながらも尊厳のうちに子どもたちのためにすべてを尽くす妻たち、あるべき平穏な老後から戦争の闇に突き落とされたお年寄りたち、暴力を受け心と体に重い傷を負った女性たち、多大な試練に立ち向かうすべての人たち」に、ご自身の寄り添いと愛情、敬意を示された。また、家を離れ、遠くにいる難民と国内避難民はもとより、危険を冒して人々に奉仕するボランティアや司牧者にも、思いを向けられた。

そして、教皇は、このような悲劇的な時に国を治め、「平和と発展のために先見的な決断の義務を負う当局者たち」のために祈られた。

さらに、「このすべての悪と苦しみが、ホロドモールによる虐殺から90年を背景に起きていること」に言及され「大きな悲劇を前に、決してくじけないウクライナの民に、心と、祈り、人道的配慮をもって、これからも寄り添いたい」と願われた。困難な状況をさらに難しくする、厳しい冬の寒さを生きる人たちに、全ての教会の愛と祈りを伝えられた。

また、教会が待降節に入り、「降誕祭が近づく中で、皆さんの苦しみは、いっそう軋みを感じさせるかもしれません」と懸念されつつ、「ベツレヘムの聖家族の試練を思い起こしてください」と語られた。そして、「寒さと闇しかないように思われたあの夜、光が現れた。それは人々からではなく、神からの、地上ではなく、天からの光でした」と励まされた。

そして、「神にできないことは何一つない」(ルカ福音書1章37節)という確信のもとに、「熱望する平和の賜物を疲れることなく願いましょう」と呼びかけつつ、ウクライナの人たちの苦しみと涙を、聖母マリアの汚れなきみ心に託して祈られた。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年11月26日