☩「私たちの人生は絶え間ない疑問とリスクにさらされるが、最終的には主に至る旅」主の公現の祭日ミサで

(2023.1.6 Vatican News  Devin Watkins)

 教皇フランシスコは6日、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、主の公現の祭日のミサを司式され、ミサ中の説教で、東方の三博士のたどった道を振り返られ、「私たちの人生の旅も、絶え間ない疑問とリスクを伴うかも知れないが、最終的には主の崇敬に至る旅となる」と語られた。

 説教で、教皇は、私たちの日々の生活の中で主に出会う3 つの方法に焦点を当てられた。

 

*絶え間ない疑問に、真剣に向き合う

 

 一つ目の方法は、「絶え間ない疑問」について真剣に考えること。「東方の三博士の経験した刺激に満ちた冒険の旅は、信仰が自分の功績や考え、理論から生まれるものではないことを教えてくれます」とされた教皇は、「探究心は、私たちに”無限な存在”を切望し、文明の進歩を刺激する”超越的なもの”の探求を始めるよう促します」と指摘。「信仰の旅は、神の恵みによって、私たちが日々の決まった暮らしに心を惑わせ、他者との関係や、夢や恐れについて、真剣に考え始めたときに始まるのです」と説かれた。

 また教皇は、「日々の生活では、それらの問題をかき消そうとする多くの”精神安定剤”ー喜びの約束、絶え間ないニュース報道、さらには”健康に関する偶像崇拝”など、快適をもたらすものーを私たちに提供されます… 三博士が、そのようなものを受け入れていたら、主に出会うことはなかったでしょう。でも、神は、私たちの絶え間ない問いかけの中に、いつもおられます」とされた。

 

 

*旅のリスクを受け入れる

 

 二つ目の方法は、「旅をすることのリスク」を受け入れること。すべての巡礼の旅には、目的地に到着するため、克服しなければならない危険がつきものであり、「私たちが旅を始めなければ、私たちが、自分の存在の奥深くで、神の御顔、御言葉の素晴らしさに向き合わなければ、霊的な疑問を含む疑問は、失望と心の荒廃につながる可能性がある」としつつ、「私たちの信仰は、主との絶え間ない対話の中で続けられる旅。祈りの中で、私たちの暮らしのあらゆる側面を主に帰することになります」と語られた。

 そして、「個人的な献身やミサに参加し続けることも、私たちの信仰を成長させるには十分ではありません。外に持ち出し、神と兄弟姉妹に向かう絶え間ない旅の中で、信仰を生きる必要があるのです」と強調された。

*主への崇敬を取り戻す

 

 三つ目の方法は、「主への崇敬」に至ること。教皇は、「私たちの絶え間ない疑問、霊的な旅、信仰の実践は、すべて、主への崇敬に至るものであらねばなりません… 現代世界の”脇道”に逸れた私たちは、神を崇敬する素晴らしさを取り戻す必要があります」と説かれた。

 そして、私たちにとっての旅の目的は、「個人的な目標を達成することでも、自分自身が栄光を受けることでもない。神に出会うこと」であり、そのための歩みを続ければ、「暗闇の中でも輝く光ー明けの明星のようなイエスの光、正義の太陽、地球のすべての人々を愛される神の慈悲深い輝きーを見つけることができるでしょう 」と語られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2023年1月7日