☩「イエスと共に人生の”海”に出て、“漁”をしよう」ー年間第5主日の正午の祈りで

File Photo: Pope during his Sunday Angelus File Photo: Pope during his Sunday Angelus   (ANSA)

 

*空っぽの舟ー私たちの無力の象徴

 続いて教皇は、一晩中、漁をしたものの、一匹もつれず、空っぽのまま戻って来た、シモンの空っぽの舟は「私たちの無力の象徴であり、イエスが御言葉を宣べ伝える”説教壇”です」とされ、「イエスが好まれるのは、私たちの隙間にお入りになり、その空間を埋めること。私たちの貧しさを”利用”して主の豊かさを、私たちの悲惨さ”利用”して、慈しみを表明されるのです」と強調。

 さらに、「神は、”クルーズ船”にお乗りになることを望んでおられません。私たちが、歓迎するなら、貧弱で粗雑な舟で十分なのです」とされ、問題は「私たちが自分の生活の中で持っている”小さなもの”を、神が利用できるか、どうか、ということ」と説かれた。

 そして、「自分は罪人だから価値が無いのだ」と思うのは言い訳だ、とされ、「神は、親密さの神です。私たちに完璧であることを求めておられません。歓迎しておられるのです。私たちにこう言われますー「そのままの姿で生きなさい」と。

 ルカ福音書の箇所に戻られた教皇は、「主はシモン・ペトロに、ご自分を彼の舟に乗せて、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになります。漁に適した時間ではありませんでしたが、ペトロはイエスを信頼し、頼みを受け入れます」とされた。

*失望に屈してはならない

 さらに、「ペトロは、自分のもっている漁師の経験・知識ではなく、イエスの新しさを信頼したのです。それは、私たちにとっても同じです。私たちが、主を自分の舟に迎え入れれば、舟を海に漕ぎ出せます。イエスと共に、恐れることなく、人生の”海”を進むことができます」と説かれた。

 説教の最後に、教皇は、「私たちが”海”で何も獲れなくても、失望したり、諦めたりしないように。私たちには、私生活だけでなく、教会生活や社会生活で、素晴らしい、勇敢な行為が可能です」と信徒たちを励まされ、「さあ、イエスの頼みを受け入れましょう。悲観論や不信感を不入り払い、イエスと一緒に”海”に出ましょう!」と呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年2月6日