☩「祈りは、信仰のための薬、心を取り戻す気付け薬」教皇、年間第29主日の正午の祈り

*人生で優先すべきこと

 教皇は、「自分の人生、心にあるもの、優先順位をどこに置いているかを、振り返ってみるのがいい。私たちは知らず知らずのうちに、二次的なことに重荷を負い、忙殺され、その間に神のことを忘れてしまっているのではないでしょうか?」と問いかけられ、「今日、イエスは、熱意の賭けた信仰に再び火を点ける治療薬を、私たちにくださいます。それは何でしょうか?祈り。そうです、祈りは信仰の薬であり、心を取り戻す気付け薬なのです」と語られた。

 

*いつも祈るように

 さらに、「私たちの信仰を生き生きと健康に保つために、常に祈る必要があります… 定期的に祈ることは、私たちの心を良好な状態に保つための鍵です。観葉植物が絶えず水を必要とするのと同じように、私たちの心にも祈りが必要です。また、水をやりすぎたり、干上がりそうになるまでずっと、水をやらなかったりしてはなりません」と注意された。

 また、「私たちは、日々の水を必要としていますー祈りの、神が私たちの時間に入ることができるように捧げられた時の、神が日々、愛、平和、喜び、強さ、希望を私たちに注ぎ、信仰を養ってださるように私たちの心を開く一定の瞬間の水を」と述べられた。

 

*祈れ、そして心を失うな

 たしかに、現代社会の騒々しい動きの中にあって、多くの人が「どうすれば、祈りの時間を見つけられるだろう」と自問するかもしれない。

 そこで、教皇は、年配者が実践している賢い霊的習慣に倣うことを提案された。それは、覚えやすく、主のそばにとどまり、心に安らぎを見いだすために、どこにいても一日を通して来る返すことのできる、簡単で短いいくつかの祈りをすること、とされ、次のように、具体的に例を示された。

 「朝起きたら、すぐにこのように祈りますー『主よ、感謝します。今日という日をあなたに差し上げます』と。そして、活動を始める前に、『聖霊、来てください』と繰り返します。次の行動に移る間に、『イエス、私はあなたを信頼し、あなたを愛しています』と祈ります」。

 

*祈りを通して主にメッセージを送り、福音書から応えを受ける

 説教の最後に、教皇は、このような主に対するメッセージとしての短い祈りを、私たちが愛する人々に毎日していることになぞらえて、私たちの心を主に結び続けるもの、と指摘されるとともに、「私たちはまた、『主の応えを読み取る』ことを忘れないようにする必要があります。それは、私たちがいつも手元に置き、私たちに向けられた『命の言葉』を受け取るために、日々開くべき福音の中にあります」と強調された。

 そして次のように締めくくられた。「忠実な聞き手である聖母マリアが、私たちに、気を落とすことなく、常に祈る術を教えてくださいますように」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2022年10月16日