☩「苦しみの中でも、祈ることで”酸素”をいただける」ー「主の洗礼」祝日正午の祈り

File photo: Pope Francis during his Sunday AngelusFile photo: Pope Francis during his Sunday Angelus  (ANSA)
 Pope Francis addresses the faithful gathered in St Peter’s Square for his Sunday Angelus and asks that on the day of the Baptism of the Lord, they reflect on the importance of prayer and remember the date of their own baptism.

(2022.1.9 Vatican News  Francesca Merlo)

 「主の洗礼」の祝日の9日、教皇フランシスコは正午の祈りの説教で、イエスがヨルダン川のほとりに行き、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた場面を思い起こされた。

 「これがイエスの公の生活が始まりです。 30年ほど目立つことなくお暮しになった後で、イエスがまずなさったことは、奇跡を起こしたり、大きな神殿で登壇して教えたりすることはありません。ヨハネから洗礼を受けることを望んだ罪人たちの列に並ばれることでした」とされ、「こうしてイエスは、私たち多くの罪人と行動を共にされ、私たちのところに降りて来られ、私たち罪人を癒やすための水に沈められたのです」と語られた。

*イエスは祈られる

 また教皇は、ルカ福音書で「イエスも洗礼を受けて祈っておられる」(3章21節)と書かれていることに触れて、「イエスは、私たちがしているように祈っておられるのでしょうか」と問いかけられ、「そうです。福音書は、多くの箇所で、イエスは頻繁に祈られること、そして、その祈りは生きた対話、父との親密な関係を示すであることが、語られています」と指摘。この日のミサで読まれた福音書で「私たちはイエスの人生の『二つの動作』を見ることができます。一つは、私たちに向かってヨルダン川の中に降りこられること。もう一つは、祈りの中で眼差しと心を、父に上げることです」と述べられた。

 

*祈ることは「逃げ道」ではない

 そして、「これは私たちにとって素晴らしい教訓になります」とされ、「私たちは皆、人生の問題と多くの複雑な状況の中に置かれ、自分を引きずり降ろそうとする難問や選択を直視するよう求められています… 引きずり込まれ押しつぶされないように、私たちはすべてを引き上げる必要があります」と強調。

 「祈ることは、逃げ道ではありません。私たちの内に神が働いてくださるようにする方法です。祈ることは、私たちを助けてくれます。私たちを神に結びつけ、神との出会いへ、私たちを心を開いてくれるからです。祈ることは、主に心を開く鍵なのです」と説かれ、さらに「苦しみの最中にあって、祈ることは、私たちに酸素を、息をする空間を供給し、私たちに物事をもっと広く見るようにさせてくれます」と語られた。

 説教の最後に教皇は、「祈ることで、私たちはヨルダン川のイエスと同じ経験をすることができます。私たちを、主なる父に愛された子供のように感じさせます」とされ、「私たちが洗礼を受けた日を忘れないようにしましょう。そして、主の言葉に耳を傾けましょう」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南寿俊二)

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2022年1月9日