☩「戦争が子供たちの笑顔を奪っている、だが希望を無くしてははならない」教皇在位10年を前に、イタリアのTV番組で

Pope Francis speaks on the program "Journeys of the Heart"Pope Francis speaks on the program “Journeys of the Heart” 

 

 

 

 

 

*だが希望を失わず、”地平線”に目を向ける

 だが教皇は、このような時代にあっても、「希望を失わず、さまざまな”地平線”に目を向ける」ことが必要、とされ、「人生の”地平線”を見ることは、希望を見ることを意味します。また、『歴史が、あなたと共に終ることはない』ということを理解する必要があります。歴史は、私の祖父の時代で終わらず、その次の、またその次の、そしてその次の時代で終わることはないーそのように見ることが、『歩き続ける勇気』をくれるのです」と強調。

 また、その際に、心理学で言う「ダチョウ効果」(都合の悪い状況に出会うと、それを存在しないものとみなして避ける傾向のこと)や、独りよがりの自己反省に陥ったりしないように注意され、「自分だけを見る人は、地平線を見るのと逆のことをしています。地平線は私たちにすべてのことを考えさせるー”希望の美徳”の基礎です」と語られた。

 そして歴代の教父たちが、希望を「錨」として思い描いていたことを思い起され、「海でも川でも、あなたは、安全確保のために錨を投げ、ロープにしがみつく。 だが、水平線を見ないと錨を下ろすことができません」とされ、「今は困難な時期ですが、私たちの希望は主にあります。多くの苦しみを伴う、難しく厳しい状況の置かれていますが、私たちにはロープと錨があります。これが 『痛みと希望』の神秘です。 “

 

*信仰を持つ人、持たない人に対して

「信仰を持たない人々に対して、何を言うことができるか」との問いに、教皇は「信仰を持たないことは、罪ではありません」と答えられ、「信仰は神からの贈り物です…. 信仰の賜物を持っていない善良な人々ー非常に善良な人々ーがいます。そのような人々に、私は言えるのはこれだけですー「心を開き、探し求めなさい。探すことに飽きてしまわないように。苦悶せず、自然体でオープンにしてください」と。

 また信仰を持っている人に対しては「”異教徒”として生きることのないよう注意せねばなりません。信者の中には“偽クリスチャン”、あるいは私の祖母が言っていた”バラ香水クリスチャン”のような生活をしている人がいます」とされ、「そういう人には、『あなたの人生を変えなさい!』と言い、こう尋ねますー『 あなたの人生はどのようなものですか? それは正しい人生ですか? それは他人に奉仕する人生ですか? お金を無駄にするの人生ですか?』と」。

 

 

*富は罪ではない、虚栄心にまみれたライフスタイルが問題だ

 富に関する質問に対して教皇は、「ある紳士が私に、『ローマには(高級)レストランがいくつもありますが、食事に2人招待すると 1700 ユーロ(約24万円)になります』と言っていました。飢えている人たちがいるのに、どうやってそのように高価な食事ができるのでしょう。そのように暮らすことができるでしょうか?… 『神父さま、共産主義者にならないでください…』と言う人がいたら、私は言います―『それが福音と言うものです』と」と答えられた。

 そして「でも、金持ちが悪い、と言っているわけではありませんが、私たちの信仰を定義するのに役立つのは、私たちの『行動』です。私たちのライフスタイルが”異教徒”である場合、他の人は『あなたがたには信仰がないか』とか、『ニスのように薄い信仰だ』と言うでしょうー人生は、信仰というニスで塗られているが、根がない、と」とされた。

 教皇は、バチカンのあるカメラマンがローマの路上で撮影した写真ーレストランから出てきた身なりの良い年配の女性が、施しを求める物乞いを無視して通り過ぎようとしているいる写真ーを取り上げ、「虚栄心や生き方の陰に隠れて、何か、あるいは誰かに気付かなければ、自分自身に閉じこもっていることになる… あなたの兄弟の肉は、あなたの肉と同じです。 もしかしたら、明日には、あなたがその立場にいるかもしれません… 傷ついた肉に触れることを恐れないように」と忠告された。

 

*頑なになった心を和らげる

 また教皇は「頑なになった心を和らげるのは非常に難しい。主は何度も、病気などの悪い状況を用いして、人の心を変えようとされます。 私たちはいつも主に願わねばなりません―『頑なな心になりませんように。人間的に振舞い、すべての人のそばにずっといることができますように』」とされ、「ウクライナの孤児のために、今日、何人が涙を流しているでしょうか?表に現わさなくても、心で泣いていますか? 何人が苦しんでいますか? 孤独ゆえに盗みを働くストリートチルドレンのために何人が苦しんでいますか?」と問いかけられた。

 さらに、このインタビューが行われた教皇のお住まい、聖マルタの家のアトリウムに架けられた絵ーピエモンテの画家が、息子を連れて逃避するシリア人の写真をもとに描いた「Forced to Flee Like They」と題された絵ーを指して、「イエスとその家族のエジプトへの逃避は、『天使の乗った競走用二輪馬車』に乗ってなされたと考えられています。この絵のようだったのでしょう。このような逃避行はイエスによって経験され、非常に多くの人々によって経験されてきました」と語られた。

 

 

*悩みは尽きないが、必ずしも悪いことではない

 インタビューの終わりに、教皇は、3月13日に、ご自分の教皇職就任10周年を迎えることに言及され、教皇に選出された時のことを思い起こされて、「可哀想なペトロ、なんという後継者を見つけたんだ!」 と笑いながら大声を上げ、 「こんなことになるとは想像もしていませんでした、それでも、当時大司教として働いていたブエノスアイレスからローマへの”移籍”は自然な形でなされました」と回想された。

 そして、教皇就任から10年が経とうとしている今、「悩みが尽きることはない」としつつ、「それは必ずしも悪いことではありません。 むしろ、悩みは”気づき”のきっかけになり得るのです」と語られた。

 そして最後に、視聴者たちに、 「私のために主に祈ってください。私が”異教”の教皇ではなく、キリスト教の教皇であるように、キリスト教徒として生き、神の聖なる忠実な民である教会を助ける恵みを、主が与えてくださるように」と願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2023年2月19日