☩「”忍耐”とは、善、祈り、そして奉仕を保ち続けること」年間第33主日の正午の祈り

(2022.11.13 Vatican News  Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは13日、年間第33主日、「貧しい人のための世界祈願日」の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたルカ福音書(21章5‐19節)を取り上げ、ここでイエスが「忍耐」という言葉を使って私たちに呼びかけておられるのは、「日々の祈り、善行、他の人への奉仕、そして人生で本当に重要なことに焦点を合わせ続けること」と強調された。

 説教で教皇はまず、この福音書の箇所にあるエルサレムの神殿でのイエスと周りの人々の会話を思い起こされた。目の前の神殿の壮大な建物の素晴らしさに見とれる彼らに、イエスは「一つの石も崩されずに他の上に残ることのない日が来る」と、地上の物事が一時的なものであり、過ぎ去るものだ、ということを分からせようとなさる。

 「このような、人の心を落ち着かせる言葉が、人生の危うさ、移ろいやすさから抜け出る未知がある、という価値ある教えを、私たちにくれます。私たちは、それを神の言葉の中に見出します―『忍耐することで、あなたがたの人生の安全が保障される』。キーワードは『忍耐』ー規律正しく、ネ倍強いことー神が心から願われる、最も重要な行為です」と教皇は強調された。

 さらに、「イエスは、存続し続けるものに注意を集中するように、神殿のようにやがては壊される物を建てることに人生を捧げるようなことをしないように、そして、崩れない物を建てること、主の言葉の上に、愛の上に、善の上に建てるのを忘れることがないように、とおっしゃいます… 神殿を賛美していた人たちのように、私たちの腕前、成功、伝統、そして宗教的、文化的シンボルを優先し、讃えていると、一番重要なことに焦点を合わせられなくなることがよくあります。そうしたことは重要であっても、過ぎ去るものです」と指摘。

 そのうえで、「忍耐に努める」ということは、「日々、善を築くこと… 特に、私たちを取り巻く現実が、そうさせないように私たちに強く働きかけるときに、それでも善にとどまることを意味します。忙しすぎて祈れないと思う時でも、、祈ること、たとえ他の誰もがルールを守ろうとしなくても、守ること、私たちのコミュニティや貧しい人、小教区のために自分の時間を割くこと、を意味します」と説かれた。

 説教の終わりに、教皇は、次のように自分に問いかけることを、信徒たちにお勧めになった。「主の善にとどまり続けるよう忍耐に努めることがどれほど良いことか」「私たちは日々の暮らしの中で、信仰に、正義に、キリストの愛に生きるよう懸命に努力しているか」「祈り、あるいは他者を助けるために自分の時間を割いているか」「私たちを取り巻く環境がそれを難しくするときにも、自分の心をしっかりと神につなぎとめているか?」。

 そして次のように締めくくられた。「もし私たちが忍耐するなら、 イエスは私たちに思い起させてくれますー私たちには、何も恐れることがない。人生で悲しいこと、おぞましいことがあっても、私たちの身の回りで悪を目にすることがあっても。たでず祈ることで、わたしたちの忍耐力が強まります」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2022年11月13日