☩「心の癒しは”聴くこと”で始まる」教皇、年間23主日正午の祈りで

(2021.9.5 Vatican News staff writer)

 教皇フランシスコは5日、年間第23主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれたマルコ福音書の「イエスが耳が聞こえず舌の回らない人を癒やした」(7章32節以降)の箇所を取り上げられ、「私たちはイエスに『私の”内なる聴覚障害”に触れ、癒してください』とお願いすることができます。なぜなら、心の癒しは、『聴ける』ことで始まるからです」と語られた。

     この説教で教皇は、イエスが、その人を癒すためになさったこと、特に、「エッファタ」、つまり「開け」と彼に言われたことに注目され、イエスがこう言われたのは「この人の障害の状態には特別な象徴的価値があり、私たち皆に何かを語ることができるからでしょう。私たちは皆、耳がありますが、聴くことができないことがよくあるからです」とされた。

*私たちも「心の、内なる聴覚障害」を癒やしていただく

 そして、教皇はこれを「内なる聴覚障害」と表現され、「私たちは、それを癒やしてくださるようにイエスにお願いすることができますが、その『心の癒し』は、聴くことから始まります」としたうえで、「『心の聴覚障害』は『肉体の聴覚障害』よりも悪い。私たちはせっかちで、忙しくしているために、周りの人々に関心を持てなくなり、時には主、そして私たちの兄弟姉妹に心を閉ざす可能性もあるからです。人々の生きざまに耳を傾け、触れることで、私たちは信仰をもって生き、成長することを学べます」と強調された。

 

*聴くの能力をどう使うか

 さらに、教皇は、私たちが”聴く能力”をどのように使うか、私たちの近くにいる人たちと時を過ごしているか、について考えるように求め、「特に家庭生活において、耳を傾けることをせず、同じことを話したり、繰り返しがちになっていないか、注意する必要があります。対話はしばしば、『言葉』ではなく『沈黙』によって始まるのです。また、他の人の話に耳を傾け、彼らの抱える課題や希望を聴くために、忍耐が求められます」と指摘された。

 

*沈黙、そして主に耳を傾ける

 また、教皇は、「このことは、主に対しても言えます。いつも主に助けを求めるのは良いことですが、その場合、まず、主の語られることを聴くこと。私たちが『主に耳を傾けているか』を自問し、福音の言葉を聴く時間をつくり、『イエスの御言葉』が私たちの心に響き渡るようにすることです」とされ、 「福音を聴くことに時間を使うことで、私たちは『霊的な健康』の秘訣を見つけます。その『薬』とは、日々の沈黙、主に耳を傾ける、少しの言葉、そしてたくさんの神の御言葉です」と説かれた。

 

*「エッファタ、開け!」

 最後に教皇は、私たちに対して語られたイエスの言葉ー「エッファタ、開け!」を聴くことができるように、御言葉を聴くことができるように心を開き、せっかちで、忍耐を欠いた私たちの閉じた心を癒やしてくださるように祈られ、私たちが「従順で、忍耐強く、気配りのある心」をもって、御子と私たちの兄弟姉妹に耳を傾けるよう助けてくださいますように、聖母マリアに祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2021年9月5日