☩「”常識では測れないこと ”をするよう努める」ー年間第7主日の正午の祈りで

(2023.2.19 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

   教皇フランシスコは19日、年間第7主日の正午の祈りの説教で、信徒たちに「自己満足ではなく、私たち罪人のために亡くなられたイエスに倣って『Extraordinary(仮訳:常識で測れないこと)』をするように常に努めるように」と促された。

 説教で教皇は、この日のミサで読まれたマタイ福音書の箇所(5章38‐48節)を取り上げ、ここでイエスが弟子たちに命じられた言葉は、「…左の頬を持向けなさい…敵を愛しなさい」と言われたように、「要求が厳しく」、「逆説的に見える」ことから始められた。

 そして、「自分を愛してくれる人を愛し、友人である人と友達付き合いをするのは、普通です」とされたうえで、「しかし、イエスは、このように言って私たちを”挑発”されます―『あなたがたがこのように振舞うなら、どのような”常識では測れないこと”をするのか?』と。この『どのような”常識では測れないこと”をするのか』が、この説教で皆さんに注目していただきたいポイントなのです」と指摘された。

 続けて教皇は、「『常識では測れないこと』とは、通常の限界を超え、通常の慣行と予測を超え、思慮分別のうえで決められることを意味します」と説かれた。

 

*神は、私たちに「常識では測れないこと」を求められる

 「一般的に言って、私たちは自分の期待に応えるようにすべてを整頓し、管理下に置こうとしますが、主は、『それでは十分ではない』と注意してくださいます。『与えること』と『受けること』のバランスを保ち、ながら、普通に暮らしていては何も変わりません。 もし神がこの論理に従われるのなら、私たちに救いの希望はないはずです」とされた。

 そのうえで、「 しかし、幸いなことに、神の愛は、いつも『常識では測れない』もの、私たちが人と関係して生きるための『通常の基準』を超えているのです」と強調された。

 

 

*そして、私たちをどこまでも愛してくださる

 

 さらに教皇は、「イエスの言葉は、私たちに挑戦しています…『功利主義的な尋常さ』にとどまろうとする私たちに、キリストは『”常識では計れない無償の愛』に心を開くことを求め、常に『平等』に生きようとする私たちに、キリストは『バランスを崩した愛』に生きるように、と勧められる… このことに驚かないようにしましょう」とされた。

 そして、「神がご自身のバランスを崩されなかったなら、私たちが救われることは決してなかった。イエスは、私たちをどこまでも愛してくださらず、私たちのために十字架に就かれることはなく、私たちのために命をお捧げになることはなかったでしょう」と語られた。

 

 

 *私たちのために命を捧げられたキリストのように生きる

 教皇は続けて、「神は、罪人である私たちのためにキリストを捧げてくださったことで、私たちへの愛を示しておられます… 神の愛は、常に”過剰”で、常に”測り知れない”、常に”不釣り合い”な愛です。 そして今日、神は、私たちにも、そのように生きることを求めておられる」とされ、「私利私欲の論理」から抜け出し、「計算ずくと利便の尺度」で愛を「測らない」ようにしてのみ、「私たちは真に神を証しすることができるのです」と強調された。

*聖母マリアに倣い、神に「はい」と答えられるように

 説教の最後に教皇は、「主は、『悪に対して悪で立ち向かうのではなく、見返りがほとんど、あるいはまったく得られなくても、善を成し、賜物を危険にさらすように』と、私たちに勧めておられます」とし、「そうすることが、争いを徐々に変化させ、互いの距離を縮め、敵意と憎しみを克服するための鍵なのです」と強調.。私は自分の人生で、”見返りを求める論理”に従ってきたか、それとも”無償の論理”に従ってきたか」と各々が自分自身に問いかけるよう勧められたうえで、「 キリストの並外れた愛に倣うことはやさしいことではありませんが、可能です」と言明。

 打算なしに神に”はい”と答えられ、自身を主の恵みのもっともすぐれたものとされるようにした聖母マリアに祈りを捧げるように、信徒たちを促されて、説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2023年2月19日