☩「”善きサマリア人”に倣い、傷ついた人に目を向け、深い思いやりを示せ」年間第15主日の正午の祈りで

(2022.7.10 Vatican News  Lisa Zengarini)

 教皇フランシスコは10日、年間第15主日の正午の祈りでの説教で、この日のミサで読まれたルカ福音書の箇所(10章25-37節)でイエスが語られた「善きサマリア人のたとえ話」を取り上げ、「善きサマリア人の傷ついた人々に対する気遣い、思いやりの模範に倣うように」、そしてイエスが示された「道」を歩む弟子であるように、信徒たちを促された。

*”道の弟子”になる

 教皇は、まず、ルカが「善きサマリア人が『旅』をしていた」ことに注目された。

 このサマリア人には遠くの所に行く予定があったが、旅の途中で起こることに常に関心を持ち、瀕死の状態で横たわっている人に出会って足を止める。

 「 主は、私たちキリスト教徒に、ご自分の弟子として歩むように教えておられます。今、ここにあっても、細心の注意を払いながら、はるか先の目的地を見据えて、キリストに倣って歩む。このサマリア人のように、キリストの弟子は、イエスに倣って歩み、そうして、『道の弟子』になりますーじっとしていないで、人と会い、病人を癒し、村や町を訪れるために、いつも道を進みます」と教皇は語られた。

 

*福音は深い思いやりを持つことを教える

 さらに教皇は「キリストの歩みをたどることで、キリスト教徒は『旅人』となり、現実を正しく理解し、先入観を克服すること、思いやりを持ち、助けが必要な人に手を差し伸べること、を学びます」とされ、「福音は私たちが、周囲に目を向けることを教えています。私たち一人一人が現実を正しく理解するように、日々の先入観や教条主義を克服するように、導きます。イエスに倣うことは、思いやりを持つことだ、と教えています。他の人、特に苦しんでいる人、助けを最も必要としている人に気づき、サマリア人のように助けの手を差し伸べることです」と説かれた。

 

*”自分本位の無関心”を克服する

 最後に、信徒たちに、「自分本位の無関心」を克服し、主の道を進むことができるように、神に祈ることを勧められ、「自分自身の過ちを認識するだけでは十分でありません」とも指摘され、次のように説教を締めくくられた。。

 教皇は、「私たちが旅の途中で出会う人たち、特に苦しみ、助けが必要な人たちに、目を向け、深い思いやりを持ち、そばに寄り、手を貸すことができるように、主に願いましょう」と促され、さらに、聖母マリアに対して、「あなたが、この”成長の旅”に同行してくれますように。『道』であるイエスを示してくださるあなたが、もっともっと 『道の弟子』になるよう、私たちを助けてくれますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年7月10日