*「”二つの火”をどのように経験してきたか熟考し、使徒としての熱意を傾けよ」
教皇はまた、新枢機卿20人に対して、このようなイエスの二つの火が「自分の人生でどのように経験されているか」について深く考え、「使徒としての熱意のある者が、どのようにして、聖霊の火によって、勇敢に、大小の事柄に関わるよう促されるか」を知るように、勧められた。
そして、二人の生きざまを思い起こされた。一人はイタリアのアゴスティーノ・カサローリ枢機卿(1998年帰天)で、東西冷戦の終結で欧州に生まれた新たな希望に応えるために先見の明のある対話の促進に努めたことで知られるが、それだけでなく、刑務所を定期的に訪問し、受刑者の司牧にも地道な努力をした。
もう一人はベトナムのヴァン・トゥアン枢機卿。(17世紀後半からたび重なる迫害の歴史をくぐり抜けてきたキリスト教徒の家に生まれたが、サイゴン(現ホーチミン)大司教になった1975年に、サイゴン陥落、共産政権によって逮捕、13年間にわたる刑務所生活の中でも、パンくずとぶどう酒数滴でミサを捧げ、わずかな紙きれに信仰の書を執筆。釈放後に渡欧してバチカンの正義と平和評議会議長に。2001年に枢機卿に叙任されたが、病いを得、闘病生活の中でも司牧に努め、翌年帰天した。)
教皇は説教の終わりに、すべての人に対して、「イエスについて深く考えるように。謙遜な壮大さ、高ぶらない力、普遍的なビジョン示してくださるイエスについて熟考するように」と勧められた。
そして、「神の火の神秘は、空を輝かせ、貧しい家族、移民・難民、ホームレスの人々たちの食べ物をゆっくりと調理するのです」と比喩的に語られ、次のように締めくくられた。
「今日も、イエスは地上に火をもたらしたい、と望んでおられます。私たちの日々の暮らしに新たな火を点けたい、と望んでおられます。イエスは私たちを名前で呼ばれます。私たちの目を見て、こうお尋ねになります―『あなたを頼りにできますか?』と」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)