☩「今日の痛みを癒やすことで明日の希望を育くもう」14日の『貧しい人のための世界祈願日』ミサ

(2021.11.14  Vatican News staff writer)

  教皇フランシスコは14日、今年で5回目となる「貧しい人のための世界祈願日」にあたって、バチカンの聖ペトロ大聖堂でミサを捧げられ、「神の救いは『将来の約束』であるだけでなく、私たちのこの傷ついた世界で生きています」とされ、「私たちはキリスト教徒として、今日の痛みを癒やすことで明日の希望を育まねばなりません」と語られた。

*今日の痛み

 教皇は、「貧しい人々が、苦難、暴力、痛み、不公正によって特徴付けられる世界の歴史の中で、どれほどひどく傷つき、抑圧されているか、そして決して訪れることが無いように思われる解放を待っているのでしょうか」と述べ、「今日の『貧しい人のための世界祈願日』は、最も弱い立場にある人々の苦しみに特別な仕方で注目するように、私たちに呼びかけます。なぜなら、そうして人々は、不正と不平等によって苦しみを受け、彼らを無視し、放棄する『使い捨ての社会』によって、さらにひどい目に遭っているからです」と訴えられた。

*明日の希望

 一方で、そのような状況が引き起こす苦しみと恐れから生まれる「希望の光」が存在し、「救いの未来」を指し示していることを教皇は指摘され、「イエスは、私たちの心を希望に向けて開き、不安と恐れから解放することをお望みです」。そして、「今日の痛みの中で、明日の希望が花を開く… この希望は今日、私たちの傷ついた歴史の中で働くのですー神の国は、柔らかい若葉のように生き生きと開き、歴史を目的地ー神が私たちを完全に自由にされる主との最終的な出会い-に向けて導きます」と説かれた。

 

*私たちは何ができるか?

 では、私たちキリスト教徒には何ができるのか。教皇は「それは『今日の痛みを癒やすことで、明日の希望を育むこと』です」とされ、キリスト教徒の希望は、「事態が明日にはもっと良くなるだろう」というような、ただの”純真”な楽観主義ではなく、「神の救いの約束を、今日そして毎日、確実にするように行動するように、という宣言」であり、それは「具体的な行動を通して、イエスが始められた『愛、正義、友愛の王国』を日々、作り上げることです。そして、助けを必要とする人々を決して無視したり、傍を通り過ぎたりしないことです」と強調。

 さらに「私たちは思いやりの証人でなければなりません。社会の無関心に苛まれている人々を助けるために、彼らに寄り添いたいという願望によって動かされる、心からの優しさと思いやり、が求められているのです」と付け加えられた。

 

*希望は組み立てねばらない

 また教皇は、貧しい人々に身近に接した故人、イタリアのドン・トニーノ・ベロ司教がいつも口にしていた言葉ー「私たちは希望することで満足してはならない。希望を組み立てる必要がある」を引用され、「私たちの希望は、正義と連帯のための決意、支援、働きをもって、貧しい人々の痛みを和らげることが具体的に表現されるもの、私たちの日々の生活、私たちの人間関係、私たちの社会的、政治的な関わりの中で現実のもの、であるべきです」と強調。この希望を具体化するために貧しい人々を支援する教会の働きかけを助ける仕事を買って出た人々に敬意を表された。

*優しさで希望の花を開かせる

 教皇は、今日のミサで読まれたマルコ福音書の「いちじくの木の教え」(13章28節)でイエスが指摘されたように、「いちじくの葉は、枝が柔らかくなると、出てきます。そして、この『やわらかさ=思いやりのある優しさ』が、この世に希望の花を開かせ、貧しい人々を痛みから解放するのです」と指摘。

 「その柔らかい葉が、私たちの周りすべてにある汚れを吸い取り、”良いもの”にします。そして、私たちは、問題や課題をただ議論するだけでなく、何かせねばなりませんーその葉のように、汚れた空気をきれいにし、善をもって悪に対処することで、おなかをすかしている人たちとパンを分け合い、正義のために働き、貧しい人たちを元気づけ、彼らの尊厳を取り戻すために働くことで、善の”変換器”になることです」と説かれた。

 説教の締めくくりに、教皇は、貧しい人たちに手を差し伸べ、福音を分かち合って共に歩み、彼らの痛みから希望が生まれることを知らせるようとするとき、教会はどれほど美しく、預言的な存在になるか、を語られ、 「このような希望を、他者への思いやりのある優しさをもって、私たちの世界にもたらしましょう。彼らの中にイエスがおられ、私たちを待っておられるのですから」と信徒たちに呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2021年11月14日