☩「すべての問題を他者のせいにして神への扉を閉ざすな」年間第22主日正午の祈りで

(2021.8.29 By Vatican News staff writer)

 教皇フランシスコは29日、年間第22主日の正午の祈りの説教で、信徒たちに、「”心”から始まる生活とこの世の中」に注意するように忠告され、この日の福音でイエスが言われるように、あらゆることで他者をとがめたてる問題が起きるのは「中から、つまり人の心から」(マルコ福音書7章21節)であり、そうならないように、私たちは、信仰を深めるために自分の心を清めてくださるように神にお願いする必要がある、と指摘された。

 この日のマルコ福音書では、エルサレムからやって来たファリサイ派の人々と数人の律法学者たちがイエスのもとに集まった場面(7章1節以降)が描かれている。

 彼らは、イエスの弟子たちの中に、汚れた手で伝統的な身を清めることもせずに食事をしている者がいるのを見て、大変驚き、「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのか」(7章5節)と問い詰めた。

 では、「食事の前に手を洗うというような良い習慣である伝統に、なぜ弟子たちは従わなかったのでしょうか」と教皇は問いかけられ、「それは、すべての中心に信仰を置き、外見的な形式だけこだわるのを避けることを確認するため、です。外見的な形式だけにこだわると、外見的な献身と見かけを最重要視し、イエスが強く求めておられる『心に触れる信仰』をもった崇敬を欠いた、”宗教的な慣行”になってしまいます」と説かれた。

 マルコ福音書のこの箇所でイエスは次のように語られる。「外から人に入って、人を汚すことのできるものは何もなく、人から出てくるものが人を汚すのである」(7章15節)。

 教皇は、「イエスはさらに、『中から、つまり人の心から、悪い思いが出てくる』(21節)と語られます。イエスのこのような教えは、当時は目新しい教え、『悪の原因は外にある』という伝統的な見方を変えるものでした」とされた。

 そして、「このことは、現代の私たちにも当てはまります」とし、「私たちには、『すべての問題が他の人々の行動や振る舞いから生じる』と考える傾向があります。私たちに起きることを、皆のせいだ、社会のせいだ、世界のせいだ、と非難します。まるで、すべての問題が、”外”に起因しているかのように、他者を非難し、彼らのせいだ、統治する人々のせいだ、と言います」と語られ、「すべてのこと、自分以外のすべての人を非難することは、時間の浪費です。腹を立て、憤り、私たちの心を神から遠く引き離してしまいます。このような問題が心に忍び込むとき、真に宗教的ではありえなくなります。怒り、恨み、悲しみが神に扉を閉ざしてしまうからです」と強調。

 そのうえで、「このような誘惑から解放してくださるように、私たちは主に願う必要があります。数多くの不平、不満で世界を”汚染”するのに時間を浪費することは、キリスト教的ではない。そうしない恵みを祈る必要があります」とされ、「イエスは、自分の心から始まる生活とこの世界に、私たちが目を向けるように勧めておられます。私たちの心を清くしてください、と神に心から願うことによって。そうすることで、私たちは、この世界の汚れを落とすことを始められます。悪を打ち負かす勝利の道は、”自分自身の中からのもの”に打ち勝つことから始まるのです」と説かれた。

 最後に教皇は、「ご自分の心を清めることを通して歴史を変えられた聖母マリア。私たちの心を清め、非難したり、不満をもらしたりする悪癖に打ち勝ち、私たちの生活の中心に信仰を置き続けることができるよう、助けてくださいますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年8月29日