☩「主は父が子にするように、私たちを抱き寄せてくださる」教皇の年間第27主日・正午の祈り

Pope Francis during his Sunday AngelusPope Francis during his Sunday Angelus  (Vatican Media)
(2021.10.3 Vatican News  Francesca Merlo)

   教皇フランシスコは3日、年間第27主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所(10章2~16節)を考察された。

 この箇所では、ファイサイ派の人々が近寄って来て、「夫が妻を離縁することは許されているでしょうか」などと尋ねたのに対して、イエスは「妻を離縁して他の女と結婚する者は、妻に対して姦淫の罪を犯すことになる」などと答えられる(2~12節)。

 だが、教皇は、それに続く場面ーイエスが触れていただくために、人々が子供を連れて来る場面で、イエスが強く憤慨されたこと(13~14節)に注目。「イエスの憤慨で最も驚くべきことは、それが、離婚の合法性の問題でイエスを試そうとしたファリサイ派の人々に向けられたものではなく、子どもたちを連れて来た人々を叱った弟子たちに向けられた、ということです」とされ、「ではどうして、主は、ご自分に論争を挑んできた人々ではなく、子どもたちをご自分から引き離そうとする弟子たちに憤慨されるのでしょう?」と問いかけれられた。

 そして、こう説かれた。「イエスはこの場面で、”小さな者”たち、つまり、他の人の助けが必要だが、それに対して対価を払うことにできない人たちこそ、一番に仕えられるべき存在なのだ、ということを教えようとしておられるのです。神を求める人は、その”小さな者”たち、困窮している人たちの中に、神を見つけるのです」。

 さらに、「主は、このように言われますー『子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない』(15節)と。イエスの教えの新しさは、ここにあります」と強調。「弟子たちは、小さな子どもたちに仕えるだけでなく、自分自身を小さな子どもとせねばなりません。自分を『小さい」と知ることは、主を進んで迎え入れるために欠かすことができないのです」と語られた。

 また教皇は「私たちは、自分自身が”小さい”ことを認めることで、”大きく”なる。成功の中よりも、もがき苦しみ、脆くなる中で、私たちは、大きくなるの。その時、私たちが着けていた”仮面”が外れ落ち、脆い本性が表に出てくるのです。それは私たちの”宝”、神と共にある脆さは、傷害ではなく、機会なのです」と説かれた。

 続けて、「実際のところ、神がどれほど気にかけてくださっているか、私たちが知るのは、まさに自分の脆さが表れた時。逆説的ですが、私たちの脆さが明らかにされる状況は、神の愛を体験する絶好の機会です」とされた教皇は、「忍耐強く祈る人は、そのことをよく知っています。暗闇や孤独の時、私たちに対する神の優しさは、そこにある。それは、私たちに平和を与え… 私たちを成長させてくださるのです」と語られた。

 最後に教皇は、「祈りにおいて、主は私たちを抱き寄せてくださいます。父が子にするように。こうして、私たちは偉大な者となるのです」と説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年10月3日