☩「いつも目を覚まして祈っていなさい」‐待降節第一主日の正午の祈りで

(2021.11.28 Vatican News  staff writer)

 世界のカトリック教会は28日から待降節に入ったが、教皇フランシスコは、その第一主日となった同日正午の祈りの説教で、世界の信徒たちに、「いつも用心し、魂を眠りから目覚めさせ、人生で最も重要なことに心を注げるよう、祈り続ける」ことを強く勧められた。

 教皇は、この日のミサで読まれた、この世の終わりに主が来られることについて述べたルカ福音書の箇所(21節25-28節)を取り上げ、「人生の試練と苦難の真っただ中にあっても、 主は私たちに、『救いの時は近い。身を起こし、頭を上げなさい』と勧められているのです」と語られた。

 

*”寝ぼけまなこ”の信徒にならないように

  そして、「私たちが日々の挑戦と苦しみに圧倒されるようなときにも、救いに心を向け続ける必要があます」と強調。イエスの言葉—眠りに込むことなく、「いつも目を覚まして祈っていなさい」(21節36節)ーを思い起こされ、「『いつも目を覚ましている』ことは、キリスト教徒の生活における重要な側面。私たちが用心を怠らず、日々の生活で本当に重要なこと以外に心を煩わさないようにせねばなりません」と説かれた。

 さらに、「『いつも目を覚ましている』とは、『怠惰な、精神的な活力と祈りの熱意を欠いた”寝ぼけまなこ”のキリスト教徒にならないように、いつも気を引き締めている』ことを意味します。私たちには、物事に感動せず、自分にとって心地よいもの以外には関心を持たなくなる可能性があるのです」と指摘。

*油断することなくあなたの心を守りなさい

 続けて、「『いつも目を覚ましている』とは、『私たちの日々の生活を、単なる”手順通り”にしないこと、世俗的な関心だけに夢中にならないこと』を意味します」とされ、私たちの心を”安楽椅子”、凡庸、そして不品行に落ち込ませようとするものを、よく意識するように励まされた。

  また、私たちの周りの人たちが負わされている重荷に目を止め、そのことに気づいて、何かしているか、自問することを求められ、「そうすることは、私たちが無感動ー魂を閉じ込め、喜びを奪う、後ろ向きの精神ーに陥るのを防ぐのに役立ちます。 箴言が言うように、『守るべきものすべてにも増して、あなたの心を保て。命はそこから来る』(4章23節)からです」と説かれた。

*「来てください、主イエスよ」を繰り返そう

 教皇は、「『いつも目を覚ましている』秘訣は、祈りにある」と強調。「祈りは、いつも私たちの心のランプを灯し続け、私たちを神に戻し、心を眠りから覚まし、『重要なことに、存在の目的に』に集中させます。 私たちは決して、祈りを怠ってはなりません」と語られ、この待降節中に、「Come, Lord Jesus(来てください、主イエス)」という呼び掛けを日々の念祷とするように提案された。

 説教の締めくくりに教皇は、「いつも目覚めた心で、主をお待ちになった聖母マリア」に、「この待降節を通して、特別のなさり方で私たちと共に歩んでくださるように」と願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2021年11月28日