☩「『Charity(慈愛)の言葉』を語る、真の信仰を育め」教皇、ハンガリー訪問2日目難民や貧しい人々との出会いで

(2023.4.29  バチカン放送)

 ハンガリー訪問2日目の29日朝、教皇フランシスコは、ブダペストの障害児支援施設を訪れた後、市内の聖エリザベト教会で貧しい人や難民との出会いを持たれた。

 この朝、教皇がまず訪問されたのは、福者ラースロー・バッチャーニ・ストラットマン学園。同学園は、児童教育学者で視覚障害者であったアンナ・フェヘル修道女が、ラースロー・レカイ枢機卿の援助のもとに、1982年、「視覚障害児の家」を創立したことから始まった。現在、幼児から小学生まで、視覚障害児を中心に、特別な支援を必要とする子どもたちの教育を行っている。

 教皇は子どもたちの歌声に笑顔で耳を傾け、子どもたちの手作りの贈り物である、アルゼンチン国旗の水色と白、バチカン国旗の黄色と白をモチーフとしたショルダーバッグや、黄色と白の玉をつないだロザリオなどを受け取られ、教皇は同学園に、「結び目を解く聖母マリア」の像を贈られた。

 教皇は、子どもたちの歓迎と、教育者たちの努力に心からの感謝を述べられ、この集いのはじめに唱えられたアッシジの聖フランシスコの祈りについて、「何かがないところに、何かができるよう主に願う、現実を歩むことを助ける祈りなのです」と話され、また、「イエスは現実をそのままに受け止めながら前へと歩まれました… 現実から目を背け、理想やイデオロギーを選ぶ方がやさしかったにもかかわらず、イエスの福音の歩みは、現実を受け入れながら進んでいくものだったのです」と話された。

 この後、教皇は、聖エリザベト教会で貧しい人や難民との出会いを持たれた。ハンガリーの聖エリザベト修道女(1207−1231)は、ハンガリー王女として生まれ、ドイツのチューリンゲン方伯ヘルマン1世の子息ルートヴィヒ4世と結婚。夫の死後、聖フランシスコ会第三会に入り、貧しい人々のために尽くした。その聖女に捧げられた教会は、1895年に建設が始まり、1901年に献堂されたネオ・ゴシック様式の聖堂。第二次世界大戦で大きな被害を受けたが、再建され、かつての姿を取り戻した。

 教皇は貧しい人々や、ウクライナからをはじめとする難民、ロマの人々、またハンガリーのカリタス関係者、ボランティアたちとお会いになり、「貧しい人々のための、貧しい人々と共にあるハンガリーのカトリック教会の寛大な奉仕」に感謝を述べられた。

 そして、イエスが「貧しい人に福音を告げ知らせるために」(ルカ福音書4章18節)来られたように、「貧しい人、助けを必要とする人たちが福音の中心にいることを忘れてはなりません」とされ、実生活から離れた「独りよがりの信仰」ではなく、貧しい人々に出会いに行き、「Charity(慈愛)という言葉」を語る、真の信仰を育むように、人々を励まされた。

 また教皇は、貧しい人々への献身で知られる聖エリザベトの生涯を回想され、「王女として宮廷生活に慣れたエリザベトが、イエスとの出会いによってこの世の豊かさや虚栄を捨て、最も貧しい人々や病者たちの世話に自らを捧げた、その生き方こそ、『Charityの言葉』をもって語られたもの」と話された。

 ハンガリーの教会が、戦争の恐怖から逃げてきたウクライナの難民たちを熱心に受け入れていることに、教皇は深く感謝され、「悲しみと苦しみの中で受けた愛の香油は、人々が未来を信じ、前進していくための力となるでしょう」と述べられた。

 また、孤独に苦しむ人や、麻薬依存者、元受刑者、ホームレス、高齢者など、物質的援助だけでなく、寄り添いや愛を必要とする人々の存在に関心を向けるよう招き、これらの人々に神の愛を伝え、内面からの再生を助けることができるようにと願われ、「これからもハンガリーの教会と社会に『Charity(慈愛)の言葉』を通して慈愛をもたらして欲しい」と関係者たちに希望された。

(編集「カトリック・あい」)

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2023年4月30日