◎教皇連続講話「使徒言行録」⑦「初期教会は病んだ人たちの世話をする”野戦病院”だった」

 

Pope Francis waves to the faithful in St. Peter's SquarePope Francis waves to the faithful in St. Peter’s Square  (Vatican Media)

(2019.8.28 VaticanNews  Devin Watkins)

 教皇フランシスコは28日の一般謁見の中で、先週に続いて「使徒言行録」をテーマとした講話をされ、出来たばかりのキリスト教共同体が助けを必要としている人々に奉仕するよう、イエスがどのようにして励まされたのか、特に聖ペトロの働きの中に振り返られた。

 主は、イエスの、使徒たちが「多くのしるしと不思議な業」(5章12節、15⁻16節参照)を行えるようにされた。教皇は、初期教会は「社会の中で最も弱い人々、虚弱な者たちを受け入れる野戦病院」として描かれている、とされ、「病んだ人たちは教会の中で、信仰厚い全ての人がもつ聖職者の心の中で、特権的な役割を持っていました… 彼らは隅に追いやられる存在ではなく、思いやりをもって世話をされる存在、キリスト教の関心の対象なのです」と語られた。

 さらに教皇は、ペトロが聖霊降臨の説教と癒しの業で示すように、使徒たちの頭として登場するが、彼はイエスのように病や虚弱さに苦しむ人々にに強い関心を示し、自身の振る舞いの中にキリストが働くようにした、とされ、「ペトロは主キリストの業を引き継ぎます… 信頼をもってペトロを見ることで、私たちはキリストご自身を見るのです」「病んだ人の傷の中に、そして私たちが人生で前に進もうとするのを阻む病の中に、イエスがおられます。そして、そこにいつもイエスご自身の傷があります… イエスは、病んだ人々の世話をし、支え、癒すように、私たち一人一人に呼びかけておられるのです」と強調された。

 また教皇は、使徒たちの癒しの力が、サドカイ派の人々の妬みと嫌悪をかきたて、使徒たちを牢に入れ、殴りつけた(5章17⁻18節)という箇所を取り上げ、その時にペテロの取った態度は「私たちは、人々ではなく、神に従うべきだ」というものであり、「これは、偉大なキリスト教徒が示す対応… ためらうことなく、神の声を聴くことを意味します」と説かれた。

 そして講話の最後を、一般謁見に参加した巡礼者たちに対して、私たちが神の癒しの業を行うように、神がいつも私たちの側におられるのを知る内的な強さを持てるように、聖霊に願うことを求めて、締めくくられた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

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2019年8月28日