◎教皇連続講話「主の祈り」最終回「祈りは、神を『父』と呼び掛けることから生まれる」

(2019.5.22 バチカン放送)

 教皇フランシスコは22日、バチカンでの水曜恒例の一般謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、これまで16回にわたって続けられた「主の祈り」をめぐる一連の考察をまとめられた。

 まず、教皇は「キリスト教徒の祈りは、神を『父』と、大胆に呼び掛けることから生まれます」とされ、「それは、単なる形式に留まらず、神の恵みによって得た、子としての親密さを表しているのです」と話された。

 そして、「イエスは御父を啓示し、私たちを神との親しさに導く方」と述べた教皇は、福音書の中にイエスが御父に向かって祈る様々な場面や言葉を見ることができ、「それらの表現の多くは『主の祈り』とも関連しています」と説明。一例として、「アッバ、父よ、あなたは何でもお出来になります。この杯を私から取りのけてください。しかし、私が願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(マルコ福音書14,章36節)と祈られた様に、苦悩と恐れの中にあっても「アッバ、父よ」と信頼をもって神に向かい、その御旨が果たされることを願うイエスのこの祈りに、「主の祈り」と同じ心を見出された。

 また、教皇は、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(マタイ福音書27章46節)というイエスの十字架上の叫びを観想。一見、「主の祈り」とは遠いように思われる苦悩の叫びにおいても、「わが神、わが神」の「わが=わたしの」というこの言葉が、神との絆の「中核」をなすと共に、信仰と祈りの「中心」にもなっていることに、「主の祈り」と共通する点を指摘された。

 さらに、「キリスト者は、あらゆる状況において祈ることができる」と述べた教皇は、「キリスト者は聖書の言葉や長い歴史の中で人々の心に湧いた表現をもって、慰めと愛を必要とする兄弟姉妹たちのことを、これからも御父に語り続けるでしょう」と話された。

(編集「カトリック・あい」)

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2019年5月23日