
(2021.4.11 Vatican News Robin Gomes)
教皇フランシスコは11日、ローマの「サント・スピリト教会」で、復活節第二主日の「神の慈しみの主日」ミサを捧げられ、ミサ中の説教で、平和、赦し、そしてご自身の傷によって私たちに与えられたキリストの慈しみに心を開くように、そして、受けた慈しみを他の人々と分かち合うように、信徒たちに強く求められた。
「慈しみ深いイエスの平和、赦し、ご自身の傷によって、私たち自身を新たにしましょう。慈しみの証人となるための恵みを求めましょう。主の慈しみを証しすることで初めて、私たちの信仰は生きたものとなる。そうして、私たちは、慈しみの福音である神の福音を宣べ伝えることができるのです」とされ、「愛を自分たちだけのものにするなら、信仰は乾き、不毛で、感情に動かされやすくなります。他者なしには、信仰は実体のない者になり、慈悲の働きがなければ、それは死んでしまいます」と語られた。
サント・スピリト教会でのミサには、新型コロナウイルス感染防止のため、参加は、男女の受刑者、看護師、障害者、難民・移民、そして教皇と共同司式をするMissionaries of Mercyの会員司祭たち、合わせて約80人に限定された。
*イエスの慈しみの三つの賜物ー平和、聖霊、ご自身の傷
教皇は、説教の初めに、復活したイエスが、どのようにして彼らを元気づけ、生き方を変えることで、彼らに”復活”をもたらしたのかについて考察され、イエスは慈しみをもって、それをなさいますー弟子たちは慈しみを受け、自分たちも慈しみ深くなります… イエスから、三つの賜物ー平和、聖霊、そしてご自身の傷ーを通して、慈しみを受け取るのです」と述べれらた。
*平和は、自身の殻を破る”挑戦”を伴う
イエスが亡くなられた次の日、週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、家の戸に鍵をかけて籠っていた。彼らは主を捨て、否定したことへの後悔にさいなまれていた。そこにイエスがおいでになり、「あなたがたに平和があるように」と挨拶される(ヨハネ福音書20章19節参照)。
教皇は、「イエスは、問題を取り除くような平和ではなく、信頼を吹き込む平和をもたらされます。 外に向かう平和ではなく、心の平和です」とされ、「イエスのもたらされる平和は、後悔にさいなまれる弟子たちを使命へと向かわせました… 使命に目覚めさせるイエスの平和は、安楽と快適ではなく、気力を無くす自己陶酔と、心を閉じ込める束縛の状態にある自分自身の殻を打ち破る挑戦を必然的に伴います」と強調。
そして、「弟子たちは、神が自分を非難したり侮辱したりされず、信頼してくださっていることに気づきました。 聖ジョン・ヘンリー・ニューマンはこう言っていますー「神は、私たちが自分自身を愛するよりも、もっと私たちを愛してくださっている」と。