♰「苦しむ人々をもてなすために、キリスト者がエキュメニカルな協力をするように」

教皇フランシスコ、バチカン・パウロ6世ホールでの一般謁見 2020年1月22日教皇フランシスコ、バチカン・パウロ6世ホールでの一般謁見 2020年1月22日  (Vatican Media)

(2020.1.22 バチカン放送)

 教皇フランシスコは22日、水曜恒例の一般謁見のカテケーシス(教会の教えの解説)で、「使徒言行録」をもとに、現在行われている「キリスト教一致祈祷週間」のテーマ「人々は大変親切にしてくれた」(使徒言行録28章節)について講話をなさった。

 まず教皇は、先週の講話で取り上げた、使徒パウロたちを乗せた船の難破とマルタ島における住民のもてなしのエピソード(使徒言行録27~28章)を思い起こされ、次のように話された。

(ローマに向かうパウロたちの船は暴風に巻き込まれ、太陽も星も見えない中で14日間も漂流を続け、270人以上の乗員、乗客は皆、動揺し、助かる望みを失っていた。だが、信仰に支えられ、希望を失わないパウロは、皆に話しかけ、激励した。『誰一人命を失うことはありません。私は福音をもたらすよう神から召されており、神は一緒に航海している皆さんを、私に任されたのですから』と、神の天使から告げられたことを話した。パウロのこの言葉は、船がマルタ島の海岸に乗り上げ、全員が無事上陸した時に現実のものとなった。そして、マルタ島では、荒れ狂う嵐の海とは対照的に、住民たちが貴重な人間的な温かさをもって一同をもてなした。)

 教皇は「マルタ島の住民はまだ、キリストの福音に接していませんでしたが、親切な行為をもって神の愛を具体的に表しました」とされ、「自然な形でのもてなしと、気遣いの行為は、神の愛の何かを伝えるものです」と指摘された。

 さらに、島の人々のもてなしに、パウロは島の病人たちを癒すことで応えたが、「パウロにとって、マルタの人々は神の摂理のしるしであり、マルタの人々にとっては、パウロは神のいつくしみの愛の証人でした」と語られ、「もてなしとは、エキュメニカルな愛徳… それにはまず、キリスト者同士が『真の兄弟』であることを認め、異なる歴史を持つ共同体に耳を傾けることが必要です」と説かれた。

 また、パウロたちの船が漂流した海は、「今日、暴力や戦争、貧困から逃れた人々の危険な旅の舞台になっています」と指摘。「これらの人々は、パウロたちのように、人々の無関心や、砂漠や川や海の厳しさを体験し、時には、人間以下の扱いを受け、人身取引の犯罪に搾取されているのです… このような移民・難民たちに神の愛を示し、『すべての人が、神にとって大切で愛された存在』だということを証しするために、キリスト者は共に働かなければなりません」と強調された。

 そして「特に弱い立場の人をはじめとする人々のもてなしのために、すべてのキリスト者がエキュメニカルな協力をすることで、よりよい使徒、よりよい一致したキリスト者の民となるように」と願われた。

 (編集「カトリック・あい」)

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2020年1月23日