♰「『何が自分のためになるのか』で日々の選択をしよう」ー王であるキリストの主日、若者たちに

 教皇フランシスコは22日、典礼年間の最後の主日「王であるキリスト」をバチカン・聖ペトロ大聖堂の「司教座の祭壇」でミサを捧げられた。ミサには、「世界青年の日」(WYD)世界大会の前回2019年の開催国パナマと、次回2023年開催国ポルトガルの若者たちの代表が参加した。

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 ミサ中の説教で、教皇は福音朗読箇所、マタイ福音書25章31-46節を取り上げ、「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人、すなわち、飢えた人、のどが渇いた人、異邦人、困窮した人、病気の人、牢にいる人のためにしたことは、私にしてくれたことなのである」というイエスの言葉を、私たちへの愛として十字架上でご自身を与える前に、「イエスが私たちに望まれた最後の願い」として示された。

 そして、「『人生は自分にさえよければいい』という考えがはびこる今日の世界で、『私はここにいる』『私はここで待っている』と、イエスは貧しい人々の間で私たちを呼び、今、人生の夢を実現しようとしている若い皆さんにも、そう呼びかけているのです」と説かれた。

 「大きな夢をあきらめないように」と若者たちに呼びかけ、「私たちは、休暇や週末を夢見るためではなく、神の夢をこの世に実現するために造られています… 中でも、慈しみの業は、人生で最も美しい業です」と強調。「大きな夢を実現するためには、大きな選択が必要。福音書にもあるように、最後の審判で、主は私たちの選択に応じて裁かれます」とされ、「善いことも、悪いことも、選択するのは私たちですが、私たちが神を選択するなら、日々愛され、私たちが愛することを選択するなら、幸福になることができるでしょう」と語られた。

 さらに、「自分自身の内面を注意深く観察するとき、私たちの心にはしばしば、『自分は何がしたいのか』と『何が自分のためになるのか』という、二つの異なる問いが浮かびます… 日常的な選択の中で、聖霊が私たちの心に勧めるのは、後者の問いです」と指摘された。

 最後に教皇は、「イエスを見つめ、イエスに従って愛の道を歩くために、自分たちに善となることを選ぶ勇気を願いましょう」と若者たちを励まされた。

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 *全世界の教区の「世界青年の日」を「受難の主日」から「王であるキリストの主日」に移行決定

 ミサの終わりに、WYD世界大会のシンボルである十字架と、聖母子画「サルス・ポプリ・ロマーニ」の複製が、パナマの青年たちの使節からポルトガルの青年たちへと引き継がれた。

 教皇は、WYD世界大会の十字架の引継ぎの式にあたり、両国の若者に歓迎の言葉をおくられた。同時に、教皇はこの機会に、これまで教区レベルの「世界青年の日」が聖週間の初日である「受難の主日(枝の主日)」に記念されていたことに対し、来年からこの日を「王であるキリスト」の主日に記念する旨を発表された。

 これについて、教皇は次のように話された。

 「次回の世界青年の日・世界大会の準備に取り組みながら、地方教会レベルでの同記念日も、さらに推進したいと思います。世界青年の日が創設されてから35年が経ちました。様々な人の意見や、『信徒・家庭・いのちの省』や青少年司牧の専門家の見解を聞いた後、来年から、教区レベルの世界青年の日を、受難の主日から、王であるキリストの主日に移動することを決めました。WYDの創始者であり、保護者である、聖ヨハネ・パウロ2世がいつも強調されたように、中心には、人間の贖い主、イエス・キリストの神秘が残ります。親愛なる若者の皆さん、キリストが生き、統治する、皆さんの命をもって、叫んでください。皆さんが黙っても、石が叫び出すでしょう」

 

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2020年11月23日